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サクラショウリ
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サクラショウリとは、1975年生まれの日本競走馬種牡馬である。鹿毛

のある男」小島太を背にサクラ軍団に初めての八大競走勝利をもたらした。1978年ダービー

な勝ち
1978年:東京優駿(八大競走)、東京4歳ステークスセントライト記念
1979年:アメリカジョッキークラブカップ目黒記念(春)宝塚記念

1978年優駿賞最優秀4歳

※当記事では活躍した当時に合わせて旧齢表記(現在の表記+1歳)を使用しています。

概要

パーソロンシリネラフォルティノという血統。

パーソロンは後に七冠シンボリルドルフとして有名になるアイルランド産の大種牡馬。この時点ですでに天皇賞メジロアサマ、そして68年産から71年産にかけて5年連続でオークスを輩出していた。71年と76年にはリーディングサイアーにもなっている。

シリネライギリスで10戦して未勝利引退後に日本に輸入されて繁殖入りした。

フォルティノはフランス生まれのグレイソヴリン産駒で、自身も芦毛を受け継いで重賞3勝。アイルランド種牡馬入りした後は自身と同じ芦毛の名カロを送り出し、後に日本に輸入されロングファスト、テキサスワイポンシービークロスなどを輩出した。

1975年3月1日千葉県成田市シンボリ牧場で誕生。シンボリ牧場オーナーブリーダーだが、生産全てが所謂「シンボリ軍団」として走るわけではなく生産を買付に来た他の馬主に売ることもあった(有名どころではハククラマ、メジロアサマスイートネイティブツルマルツヨシなど)。本もそのうちの1頭で、サクラ軍団を率いる全演植氏に買われて「サクラショウリ」と名付けられ、当時サクラが多く所属していた美久保田之厩舎に入厩した。

現役時代

1977年6月札幌競馬場ダート1000mの新馬戦増田騎手上にデビュー、1番人気に推されたものの3着。7月未勝利戦で4着と勝ち切れずしばらく休養し、10月未勝利戦ではサクラ軍団戦「のある男」小島太に乗り替わって再び1番人気に推されて勝利した。1月後の300万下菊賞でもキチジョウタカをハナ差抑えて連勝し、この勢いに乗って年末の朝日杯3歳ステークスに格上挑戦する。社台グループ期待のギャラントマン産駒ギャラントダンサーが1番人気京成杯3歳ステークスを勝ってきたタケデンが2番人気。サクラショウリはそれに次ぐ3番人気に推されてレースでもその三頭が人気通りの着順でで決着。敗れてしまったものの4着のファンタストは4身離して実は示し、3歳時はこれで終えた。

4歳時はクラシック参戦を標に年明け々から京成杯に出走。前走で敗れたタケデンが単勝1.6倍の1番人気に推される中対抗として6.7倍の2番人気に推されたが、タケデンと5番人気メジロファントムハナ差及ばず3着に敗れた。次走の東京4歳ステークスでは敗れたメジロファントムに次ぐ再びの2番人気となったが、3番人気ファンタストをアタマ差破り重賞初制覇。クラシックの有の1頭となった。しかし次の弥生賞ファンタストに敗れ2着。本番の皐月賞では出遅れた挙句脚を余して再びファンタストインターグシケンに次ぐ3着に敗れてしまった。しかし戦の小島騎手は出遅れたにもかかわらず3着まで来れた事で2400mに距離が伸びても折り合いさえつけば大丈夫だろうと逆に自信を深め、オーナーの全演植氏にも「オヤジダービーは絶対勝って見せる」とまで断言していた。

皐月賞の敗戦から日本ダービー直前にかけて、サクラショウリの状態はどんどん良化していった。小島騎手ダービーに勝てるという自信は「自分さえ騎乗ミスをしなければ必ず勝てる」という確信に変わっていき、サクラショウリの営は万全の態勢でクラシック2戦日本ダービーに参戦する。1番人気こそ皐月賞を回避していたバンブトンコートに譲ったものの、皐月賞で敗れたファンタストインターグシケンを上回る2番人気に支持された。7番人気メジロイーグル皐月賞以上のハイペース逃げる中で中団に控え、大ケヤキを過ぎたあたりから仕掛けていき残り200mで抜け出して12番人気アグネスホープを半身抑えて勝利シンボリ牧場に初のダービー制覇、パーソロンに初のクラシック制覇、そしてサクラ軍団には初の八大競走制覇をした。

サクラショウリはその後夏休みを取り、菊花賞して初戦のセントライト記念に出走。単勝3.4倍の1番人気に応えて復帰戦を勝利で飾った。しかし2戦京都新聞杯は「小さな逃亡者」メジロイーグル逃げ切られ2着に敗れる。しかし敗れたと言っても状態は悪くなったわけではないと思われ、二冠の期待もあり菊花賞では1番人気に支持された、菊花賞では再び逃げメジロイーグルめに捕まえるべく第4コーナーで並びかけたが、メジロイーグル逃げり、更にインコースからインターグシケンキャプテンムラに差されて3頭が叩き合う中、自身はゴール版直前で外から来たキタコンゴウにもハナ差及ばず5着に敗れた。サクラショウリはその後年末の有馬記念にも参戦したが、逃げメジロイーグルとそれを差したカネミノブインターグロリア叩き合いに加われず、3番人気グリーングラスにはハナ差先着したものの、先頭からは4身離された5着に敗れた。

となった5歳時はアメリカジョッキークラブカップから始動。単勝2.7倍の1番人気に応えて2番人気グリーングラス有馬記念カネミノブを破り幸先の良いスタートを切った。2月には当時2回開催されていた目黒記念(春)アサダイオーやシービークロスを抑えて勝利重賞を連勝する。3戦標とする天皇賞(春)に向けて前戦となる中山記念に出走ここでも1番人気に推されたが、前年優勝のカネミカサに敗れて2着。本番の天皇賞では前戦を勝ってきたキャプテンムラに1番人気を譲って単勝4.7倍の2番人気になった。中団待機から2週の向こう正面で仕掛けていったが、6番手から抜け出したTTG世代の善戦マンシュウチカラの執念に1歩届かず、僅か半身差の2着に敗れた。しかし敗れたとはいえ半身。向こう正面での仕掛けと見せ場はたっぷり作ったとあってか続く宝塚記念では単定の1番人気に返り咲き、逃げグリーングラスを直線で捉えバンブトンコートをアタマ差退けて単勝2.9倍の圧倒的な人気に応えてレコード勝ち。グランプリを勝利夏休みに入った。

しかし走でを出し尽くしてしまったのか、えたサクラショウリはほどの走りを見せることは出来なかった。ぶっつけで挑んだ天皇賞(秋)は5着と掲示板を確保するものの、同期のスリージャイアンツメジロファントムが壮絶な叩き合いをする中8身近く離された。年末の有馬記念でも1番人気に推されたが、グリーングラスが3度の挑戦で遂に優勝する中掲示板を外す6着に敗れ、5歳時は7戦3勝で終えた。

6歳時は前年優勝したアメリカジョッキークラブカップから始動。前年の成績から人気は落としたが、それでも有馬記念3着のカネミノブに次ぐ2番人気に支持された。レースでは有馬記念で8着と沈んでいたカネミカサが4身差と圧勝する中、サクラショウリは60キロトップハンデいてカネミノブサクラエイリュウに次ぐ4着に敗れた。このレースでは優勝したカネミカサと2着カネミノブ、3着のサクラエイリュウと4着サクラショウリが同じ馬主だった為二人の馬主が上位4着までを独占するしい結果も生まれている。サクラショウリは前年と同じローテで目黒記念(春)に出走したが、初めての2桁着順となる11着に沈み、これを契機として引退することになった。通算成績23戦8勝。うち重賞6勝。

引退後

引退後は北海道種牡馬入りし、皐月賞菊花賞の2冠を制して1987年年度代表馬となったサクラスターオーを送り出し、子でクラシック三冠を達成。GIとなった。しかし他の産駒には気性が悪さが出るものが多く、大成を阻まれる産駒もまた多かった。代表産駒サクラスターオーレース中の故障により世してしまったこともあり、同じくパーソロンに持つシンボリルドルフトウカイテイオーを、様々な問題を抱えつつもメジロアサマメジロティターンを後継種牡馬として残した中、サクラショウリは後継となる種牡馬を残すことは出来なかった。としては阪神大賞典を勝ったナムラクレセントに所属しながら中央の重賞を制したレジェンドハンターなどを出している。1995年種牡馬引退。それからは功労として過ごしていた。1999年に老衰により死去。24歳であった。

サクラショウリが生まれた1975年競走馬の世代である1978年クラシック世代は、サクラショウリが引退した一月後に重賞勝利したホウヨウボーイ有馬記念天皇賞(秋)勝利して1980年~81年の年度代表馬シンザン以来初めて2年連続で受賞し、世代の代表としてはホウヨウボーイに扱われることが多い。しかしホウヨウボーイ骨折から復帰するまでの1年9かの間、世代を引っったのは間違いなくサクラショウリであった。23戦する中で掲示板を逃したのは5歳時の有馬記念引退レース目黒記念だけ、何より4歳時の有馬記念の4番人気を除く22戦で3番人気以上に推されており、5番人気以下になることは1度もなかったのである。全盛期がズレてしまったこともありホウヨウボーイと戦うことなくターフを去ることになってしまったが、サクラショウリも並び称されるべき名だと言えるだろう。

血統表

*パーソロン
Partholon
1960 鹿毛
Milesian
1953 鹿毛
My Babu Djebel
Perfume
Oatflake Coup de Lyon
Avena
Paleo
1953 鹿毛
Pharis Pharos
Carissima
Calonice Abjer
Coronis
*シリネラ
Shirinella
1968 芦毛
FNo.22-a
*フォルティノ
1959 芦毛
Grey Sovereign Nasrullah
Kong
Ranavalo Relic
Navarra
Shirini
1961 黒鹿毛
Tehran Bois Roussel
Stafaralla
Confection Fun Fair
Choclo
競走馬の4代血統表

クロスAvena=Choclo 4×4(12.50%)、Tourbillon 5×5(6.25)

主な産駒

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