サムの息子法(英:Son of Sam law)とは、アメリカ合衆国で制定されている法律である。
概要
1976年から1977年にかけて、アメリカのニューヨークにおいて若い女性や恋人たちを狙っての大量殺人事件が発生した。6人が殺害され、8人が重軽傷を負うという痛ましいものであった。
犯行を行ったデビッド・バーコヴィッツは「サムの息子」という名義で紙切れを犯行現場に残し、その挑発的な内容は世論を大きく騒がせ、警察の捜査も大きく熱がはいる要因となった。犯人は逮捕され、懲役365年という事実上の終身刑(ニューヨーク州の法律に死刑は無いため)を受けたが、その彼に対して出版社やメディアが高値で出版を持ちかけ、買い取るのではないかという懸念が上がった。あくまで噂ではあったが、75000ドル(1978年当時のドル円相場で換算すると1462万5000円になる)という資金を受け取るのではないかという推測もあった。
バーコヴィッツ当人はその可能性を否定したものの、彼に対する世論の憎悪は凄まじく、ニューヨーク州議会は先手を打つ形で、犯罪加害者が自らの犯罪経験に基づいた暴露本などで利益を得ることを防ぐ法律を制定した。これが、サムの息子法である。これは他の州でも好意的に受け入れられ、多くの州で制定された。
この法律は実際に1990年までのあいだに11回にわたって執行され、サムの息子事件以外にも、ジョン・レノンを殺害したチャップマンに対してとられた事が知られている。
だが、これは出版社側から反感の声があがり、表現の自由を侵害するとして、サイモン&シュスター出版は『ワイスガイ』というマフィアの犯罪を描いた暴露本の出版でこれを適用されたことに対して、1987年に提訴を起こした。サイモン&シュスター対犯罪被害者委員会判決でしられるこの出来事は、1991年12月に連邦最高裁判所で判決が下った。
連邦最高裁は「犯罪者からそういう犯罪経験に基づく本の収益について、それを没収して被害補償に当てることはやむを得ない利益がある」としながらも、「ニューヨーク州のサムの息子法はあまりにも包括的に過ぎ、有罪判決を受けなかった人や、犯罪者当人でなくてもそれに関わってさえいればこの法律が適用されてしまうし、それを防ぐための必要な調整がなされていない。また被害補償の対象を犯罪者の暴露本に限定されねばならない理由も十分に説明されていない」と結論づけ、表現の自由などを定めた合衆国憲法修正第1条に違反するという違憲判決を出した。他にも別の事例でネバダ州の最高裁がこの判決を支持し、2004年に法律そのものを無効にしている。
これを受けて2001年にニューヨーク州はサムの息子法を改正し、有罪判決を受けた者は、どのような理由で得たとしても1万ドル以上の資金を受けた場合は被害者へ通知することを義務付け、時効を長く設けることで被害者からの補償請求の訴訟を強く保護した。また被害者にかわって、犯罪被害者委員会がその訴訟の代理人になるなど、必要な行為をすることも認めており、最高裁の判例からあくまで対象は犯罪行為に直接関連する収益に限るとした。カリフォルニア州の同法では、一定の重罪に範囲を限定するなどの違いも見られる。
現在ではこのような改正を受けながらも、アメリカの連邦法並びに50州のうち40州でこの法律が施行されている。
法律の仕組み
- 出版社が加害者と出版契約を結んだら犯罪被害者委員会(ニューヨーク州ではこのような被害者にかわって法的な行動などをサポートする組織が存在する)に通知する
- 委員会はその内容を精査し、契約に加害者が受け取る対価がある場合は、出版社は預託金としてそれを勘定科目に計上しなければならない
- 委員会は被害者ないし遺族に対して金銭が預託されたことを通知する
- 被害者や遺族は預託から5年間、犯罪者に対して損害賠償を求める民事訴訟を提訴できる。勝訴した場合はその認容された金額を預託金から受け取る。
このような経緯をたどって被害者はお金を受け取れる仕組みになっていた。なお、5年間(一定期間)提訴しなかった場合は預託金は加害者に返還される。
我が国への影響や議論
我が国においては1997年に発生した神戸連続児童殺傷事件の加害者少年Aが、2015年に自らの体験を暴露した『絶歌』出版にあたり、サムの息子法が引き合いに出されて大きな議論を呼んだ。
我が国では刑法19条において没収刑が定められているが、このような自らの犯罪行為について出版したことについて得た利益については特別には定められていない。その為、犯罪被害者の救済や処罰感情などからサムの息子法の制定を望む声も大きい。
これに際して問題となる点は2つあり、一つは憲法21条に定められている表現の自由に抵触するのではないかという懸念がある。無際限に認めれば、アメリカの最高裁判例のような判決が我が国の最高裁で出ることは自明であるため、その範囲は慎重に議論する必要がある。また、収益の範囲についても全額没収となると財産権に抵触する恐れが生じるため、これも適用範囲と同様に考慮する必要がある。
もう一つは、収益の没収という経済的な動機を奪ってしまえば、犯罪者側にそれを暴露する積極的な動機を喪失し、真相を語らせる機会を喪失するのではないか。という懸念もある。裁判で明らかになるのではないかという反論もあるだろうが、あくまで裁判は犯罪事実に対しての判決であるため、全てが終わった後に犯罪者側からの告白を得るというのとはまた別物である。
また、法の慣行として我が国では訴訟に対する忌避感が強く、訴訟が前提にあるこの制度は我が国には必ずしも馴染まない可能性もあるため、別の措置も検討する必要もあるだろう。
国会でも議論に上ったことがあり、政府はそれに対して「憲法の保障する表現の自由などの観点から、慎重な検討が必要」という見解を示している。
関連項目
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