ここで言う「編集者」とは、ニコニコ大百科(または類似の百科事典サイト)において編集を行う者と定義する。
定義
「伝説の編集者」と呼ぶに相応しい編集者とは、どのような者が適当であるかについて考察する。
伝説と呼ぶには、以下の条件を満たしていることが好ましいと思われる。
伝説と呼ぶに相応しい業績を上げている。
言うまでもなく伝説と呼ばれるには、それなりの業績を持っていることが要求される。
伝説と呼ぶには、単に能力が高いだけでなく、客観的に評価された実績を持っていることが必要であると考えられる。
ニコニコ大百科においては、今週のオススメ記事や今週のクソ記事にて選出されたことが高い評価がなされたことを意味するが(当然異論もある)、そこに選出された記事のみが良い記事ではないのは言うまでもないので、ほめる数なども指標となる。
また、機能面において評価するならば、掲示板の書き込み数も指標の一つとして数えることも可能である。
その場合は、VOCALOID関連、東方Project関連、テレビアニメ作品やその登場キャラクター、ネット上で話題となった出来事などが閲覧・利用される頻度が多いので、そのような記事をいち早く新規作成することがポイントとなると思われる。
ただし、タイミングを見誤ると立て逃げやネタバレと認識される可能性があるため、諸刃の剣であることは否定できない。
いずれにせよ、情報収集能力や、先見の明を磨くことが良い編集者への道であると言える。
編集における能力(文章力・レイアウト構成能力等)が高いこと。
ニコニコ大百科においては、立て逃げは非常に敬遠されるために、ある程度の質なり量を持つ記事の作成、編集がおのずと要求される。
質の高い記事の定義は曖昧であるが、客観的に見て「ほめる数」が指標の一つになると思われる。
その点では、HTMLのレイアウト能力というものが求められるが、魅力的なレイアウトにするにあたっては、画像(お絵カキコ)も必要になるため、場合によってはイラストレーション能力も求められることがある。
ただし、単に外見において華美な配置にすることが望ましいのではなく、あくまで誰もが編集可能な百科事典であるため、他の編集者にも配慮したレイアウトであることや、閲覧の快適さを妨げるような編集はあまり好ましくないと考えられる。
ニコニコ大百科初期においては、ネタ記事や2011年現在の価値観では立て逃げと思われるような記事なども多々見られたが、大百科の利用者数の増加に伴い、そのような記事を歓迎しない利用者も多く現れるようになった。
そのような記事の作成においては、ある程度、利用者を惹きつけるだけの何か(センスや技術、文章力)を備えていないと、厳しい状況になる可能性がある。
質は勿論のこと、ある程度の編集数も備わっていること。
ある程度の質を持つことは勿論のこと、一定の編集数もこなしていることが求められると思われる。
ただし、数を稼ぐことによって、敵を作る可能性も少なからず存在するために、ただ数を稼げばいいという訳ではない。やるか否かが重要なのではなく、どのように動くかがポイントなのである。
その界隈で知名度を持つこと。
言うまでもなく、ある程度の知名度を持つことがポイントであると思われる。
ただし、掲示板やニコニコ生放送などで、コテハンを積極的に用いる態度は、大百科界隈では歓迎されない他、自己顕示につながる行動も反感を買う可能性が高い。
メリット
伝説の編集者になることにおけるメリットはほとんどないと言ってよいだろう。
ニコニコ動画で活動する歌い手や踊り手、ニコニコ生放送で活動する生主、ニコニコ静画で活動する絵師においては、運営主導による披露の場が設けられていることも多々見られるが、ニコニコ大百科においてはそのような場面は皆無である。
ニコニコ大百科においては、オフラインのつどいや、にこぺけん、ATOKによる大百科連動キャンペーンなども開催されたが、それから1年以上経過した現在に至るまで、主だった活動は見られない。
グニャラくん ★のニコニコ大百科引退に伴い、更にそのようなイベント開催の可能性は遠ざかった(むしろ皆無)と見てよいだろう。
そのような点では、編集者自身の自己満足や自己顕示欲の充満という、自己完結的な目標に至り、言い方を変えれば、それが十分に満たされた時点で、活動する理由を失う可能性が高いということが考えられる(燃え尽き症候群)。
当然、それが本来のあるべき姿であるのは言うまでもないが、ニコニコ自体が利益の追求や実現を主たる目的とする流れにある中で、ニコニコ大百科の姿勢如何が問われ始めているように思われる。
(憶測ではあるが、多数の大百科民は現状のままが望ましいと考えているだろうと思われるが。)
編集者単位では、オフ会が度々開催されているが、古参やニコニコ大百科の有名人が多数を占めている他、そのような人物の年齢層が比較的高いせいか、オフ会にかかる費用が高めであり、また、そのような古参勢に対して、「馴れ合いである」という批判もある。
馴れ合い自体は、特に客観的要件に基づいて否定されるものとは断言できないが、数多くの問題を孕んでいるニコニコ大百科の現状において、きわめて閉鎖的な、馴れ合い目的のオフ会しか開催されていないという点に、様々な不満を抱いているのは少なからずいるのではないだろうか。
デメリット
いずれも活動歴がそれなりに長く、編集において知名度や実績で高い認知を誇る編集者によく見られる傾向である。
1.においては、ちょっとした目立った行動が批判の槍玉に挙げられるようになり、
2.においては、編集数の少ない編集者どから反感を買われることも度々ある(特にその記事が十分な質を満たしていない場合は尚更)。
2.は、特にニコニコ大百科ユーザーランキング掲載者によく見られる事例であり、その編集者の活動領域が広いまたは深い場合にそのような反感を買われることが見られる。
3.においては、自分の実績や貢献度等を武器に、自分よりも下の編集者に対して上から目線な態度を取ったり、時には言論による圧力をかけたりすることが見られる。
(一方で、実績の浅い編集者によるルサンチマンも度々見られる。)
いずれにせよ、伝説の編集者であるためには、実績だけでなく人間性の如何も問われることも肝に銘じなけらばならない。
そもそも
伝説の編集者である必要はあるのか
答えは各人の考え方や価値観によるが、個人的見解としては、NOであると思われる。
伝説であることに憧れを持つ者は多かれ少なかれ存在するが、伝説になるということは、場合によっては、一般的な楽しさや幸せ、自由を失う可能性も十二分に含んでいる。
自分の器以上のものを求めることにより、自分の足元が崩れるということも考えられる。
そういう意味では、自分のできる範囲のことを着実にこなすことが重要なのではないかと思われる。
また、ニコニコ大百科の編集は義務でも労働でもない。
時々、他から何かしらのものが求められることも度々あるが、基本的に趣味であるために、必要以上に義務感やプレッシャーに苛まれる必要性などどこにも有していない。
仮に自分の編集者(利用者)としての方向性に迷いが生じた場合、「ニコニコ大百科:楽しく過ごすために」を一読することも是非検討してはいかがだろうか。
伝説の編集者などいるのか
これに関しても各人の判断によるのだろうが、個人的見解としてはNOであると思われる。
理由は簡単で、そもそも伝説の編集者という話題がないからである。
更に言うならば、伝説の配信者という概念を作る必要性自体が皆無ではないかと思われるからだ。
編集者というのは、配信者や絵師に比べて、裏方に徹することが多く、またそれを周囲から暗に要求されることが多々ある。
その裏方界隈で「伝説」というカテゴライズを作ること自体が求められないからではないかというのが個人的に思うことである。
また、ニコニコ大百科である程度の実績を出したところで、それはあくまで大百科のみで評価されることであり、現実社会では勿論、インターネット上でも、他のコミュニティにおいては何の意味もなさないのは自明の理である。
そういう意味では、「伝説の配信者」という言葉自体が極めて滑稽な響きを持っているように思われる。
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関連項目
- ニコニコ大百科
- 編集者
- ニコニコ大百科:編集者一覧
- 悪質な編集者の一覧
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- 大百科編集者カタログ
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