スキャットマン・ジョン(Scatman John、本名:ジョン・ポール・ラーキン (John Paul Larkin) 1942年3月13日 - 1999年12月3日)はアメリカ合衆国カリフォルニア州出身のミュージシャン。
概要
もともとはジャズ・ピアニストとして生計を立てていたミュージシャン。子供のころから6~7度言い直さなければ一文すら言い終われないほど重度の吃音(どもり)症を抱えており、ピアノを習い始めたのも口以外の「語る」手段を欲してのことだった。ジャズ業界では地道にキャリアを重ねて著名なジャズマンらとの共演・客演なども経験したが、折角のピアノによる「語り」は40歳を過ぎても世間一般からは望むような評価が得られず、やがて酒やドラッグに逃避する日々を送るようになる。
が、同様にドラッグ漬けになった知人や友人が次々と志半ばに倒れていくのを目の当たりにして徐々に自身と向き合えるようになり、健気な妻ジュディーの励ましもあってついに更生。数年後にドイツのベルリンに渡り(北欧行きなど諸説ある)、ジャズのギグに参加するうちに、吃音を逆に利用して高速のスキャットを口遊む方法を開発し、ピアノでの演奏がてら自身の口で「歌う」ようになった。
まもなくデンマークのレコード会社のエージェントにスカウトされ、ユーロビートの世界的ヒットで当時隆盛の極みにあったダンスミュージックという畑違いのジャンルで52歳という高齢にしてプロ歌手デビューを果たし、これが世界中でまさかの大ヒット。ロスの自宅にて癌で亡くなるまでの僅か4年余りの短い、しかし世界中を飛び回る精力的な活動によって内外のダンスミュージック界および障碍福祉業界に大きな衝撃を与えた。
海外のミュージシャンとしては来日回数が非常に多く、日本でのCMやアルバム活動の他、自身と同じ障碍を持つ日本の支援団体とも馴染みが深い。プッチンプリンのCMで歌って踊ってた笑顔のステキなヒゲの紳士、と言えばある程度の年代には分かる人が多いのではないだろうか。
しかし当時の日本でのプロデュースはラジオなど一部メディアを除いては、彼の真摯な姿勢、深い歌詞などを真剣に伝えようとしていたとは言いがたい面がある(ありていに言えば「ネタキャラ」扱いだった)。しかしスキャットマン自身もそんなことは十二分に承知の上で、障碍を真正面から受け止めてなおポジティヴに生きていく姿を身を以て示していたのである。
ニコニコにおけるスキャットマン
ニコニコ動画ではβ時代からちらほらとアップロードされていたが、中々日の目を見ることが出来なかった。
スキャットマンが既に故人であり、彼の功績も現在ではメディアへの露出が少なく、若い世代への知名度が落ちてきていることが原因と考えられる。
しかし2008年03月21日、突如としてスキャットマン祭りが開かれ、総合ランキング上位に彼の動画が食い込むこととなる。
その際に初めて彼の書く詩や思い等の深さを知るユーザーが多く、20代以前の若い世代ばかりでなく30代以上のユーザーたちにも少なからぬ衝撃を与えた。また、声優として有名で、なおかつ歌唱力も高い山寺宏一が、度々モノマネをしながらこの歌を披露しているためか、スキャットマンに関する動画を検索すると、もれなくおはスタなどで見慣れた眼鏡男の姿を見ることになる。
彼の歌を聴き、音楽には国境も障碍すらも関係無いと考えて貰えば幸いである。
楽曲「SCATMAN (Ski-Ba-Bop-Ba-Dop-Bop)」
最近ではコナミの音楽ゲーム「jubeat」にも収録された、スキャットマン自身をタイトル名につけた楽曲。歌には同じ吃音で悩み苦しんでいる子供たちが逆境に立ち向かえるよう奮起を促すメッセージが込められている。
この曲が収録されたアルバムでは日本国内だけでもアルバム売上が250万枚を達成し、スキャットマンの名前を世間に知らしめた。
葡萄『巨峰』
スキャットマンは来日する前に『大きな葡萄』を食べて、その味にいたく感激したものの、どこに行けば又その葡萄が食べられるかわからずにそれっきりであった。来日した際にその『大きな葡萄』、日本産の葡萄、『巨峰』との再会を果たし、以後『巨峰』は彼のお気に入りの果物となった。
関連動画
関連項目
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