アレクサンドル・ジロティ単語

アレクサンドルジロティ
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アレクサンドル・ジロティ / ジローティ18631945)とは、作曲兼ピアニストである。
日本では最近まで本人のラテン文字表記を英語読みしてシロティと呼ばれていたが、キリル文字表記を見るとシロティと読めないことがわかる。

概要

1863年にウクライナハリコフ近郊で生まれた。1871年からモスクワ音楽院にわずか8歳で幼児教育スペシャリストとされたニコライ・ズヴェーレフの内子として預けられ、1875年からは同音楽院でニコライ・ルビンシテインピョートル・チャイコフスキーセルゲイ・タネーエフらに学んだ。その後卒業するとニコライ・ルビンシテインに送られ1883年から86年までワイマールに滞在し、最晩年のリストに師事を受けた。

ジロティ1887年にモスクワに戻るとそのまま音楽院の教壇に立ち、90年に退職するといったんは西欧に戻ったものの1901年以降はロシア揮者として活躍した。ロシア革命以降はイギリスに移り、1924年からは20年近くニューヨークジュリアード音楽院で後進育成にあたった。

作曲としてはほとんどがピアノ曲であり、もっぱらトランスクリプションものに努めた。

子にはロシアではコンスタンチンイグムノフやアレクサンドル・ゴリデンヴェイゼルアレクサンドル・スクリャービン、いとこでもあるセルゲイ・ラフマニノフなどがおり、またドイツではヴィルヘルム・バックハウスニキタ・マカロフなども師事しており、ピアニストの系譜のかなり根幹の部分にいる存在である。

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