※フランスやアメリカ合衆国カリフォルニア州にも同名の小河川があるが、当記事ではイタリアの河川を説明する。
概要
イタリア北東部、現在のラヴェンナからリミニの間にあった川の名前。イタリア中央のアペニン山脈から発するが、川幅数m、全長でも数十kmのそれほど大きくはない河川だったとされる。
そのサイズの割に、歴史的な理由により知名度が比較的高い川である。紀元前49年、カエサルが率いていた軍を連れてこの川を渡ってローマ本土に入り、ローマ内戦が始まった。当時、この川はローマ本土と属州の境界になっており、ここより南に軍を進めることは許されておらず、もし入った場合は反逆と見なされた。
カエサルがこの川を渡った時、「賽は投げられた」(サイコロを振った、つまり事を動かした以上は、結果がどうなろうともう最後までやるしかない)という言葉を残したとされている。ただ、本来のギリシャ語では「賽を投げろ」だったのが、ラテン語への翻訳または写本の過程で「賽は投げられた」になってしまったとも言われる。
また、重大な後戻りできない物事を決定する(あるいは、そのような局面に進む)ことを「ルビコン川を渡る」という慣用句で表現することもある。
現在は「ルビコーネ川」という川がイタリア北東部のエミリア=ロマーニャ州に流れているが、これはムッソリーニが出した政令によって候補の1つである「フィウミチーノ川」が改称させられたものである。観光客に「ルビコン川はどこですか」と聞かれても答えられない状況を解決したかったようだが、ルビコーネ川(旧フィウミチーノ川)がルビコン川であるとする確実な根拠は未だない。
約2000年を経て流路の移動があったため、ルビコーネ川が本当に当時のルビコン川にあたるかは断言できず、正確な位置については現在でも論争がある。他にはピシャテッロ川、ウーゾ川が当時のルビコン川にあたるとする説がある。
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