坂本龍馬暗殺実行犯の一人とされる。
概要
弘化元年(1844年)、桑名藩士族小林家に生まれる。諱は重幸。通称甚七。
慶応3年(1867年)5月、京都見廻組並・世良吉五郎の養子となり、見廻組並を相続する。
元京都見廻組肝煎・渡辺篤の証言によると、慶応3年(1867年)11月15日、京都見廻組与頭・佐々木只三郎の招集を受け、醤油商の近江屋に向かい、同行した渡辺の他3人(佐々木、今井信郎、世良)が2階に乗り込み坂本龍馬、中岡慎太郎両名を殺害。乱闘の興奮から世良が刀の鞘を現場に置き忘れたと渡辺は語っている。
その後の経歴、没年は不明。
世良は今井の証言には登場せず、渡辺の捏造ではないかとされていたが、慶応2年(1866年)2月に京都見廻役・岩田通徳が、世良吉五郎の養子に世良敏郎を願う幕府宛て書類が確認されており、実在した人物である事が分かっている。
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