さらばハイセイコーとは、競馬史上初のキャラソン改め馬ソンである。
また、寺山修司氏による詩のタイトルでもある。本項では、歌のほうについて解説する。
| さらばハイセイコー | |
| 基本情報 | |
|---|---|
| B面 | 弥生賞・皐月賞・菊花賞(レース実況・関係者のコメント) |
| リリース | 1975年1月1日 |
| 作詞 | 小坂巖、山田孝雄 |
| 作曲 | 猪俣公章 |
| ジャンル | 昭和歌謡 |
| 時間 | 3分34秒 |
| レーベル | ポリドール |
| チャート順位 | |
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|
| 楽曲テンプレート | |
第一次競馬ブームの立役者であるアイドルホース・ハイセイコーの引退を記念して作られたのが本曲である。
1974年11月、年末の有馬記念をもってハイセイコーが引退することが決まり、同じころに企画が立案された。
小坂アナウンサーが競馬週刊誌に連載していた連載の中で、増沢末夫騎手の歌唱力の高さを何度か取り上げており、その中で書かれた「増沢がハイセイコーの歌を歌ったらヒット間違いなし」という文章をポリドール・レコードの関係者が目にしたのをきっかけに制作が決まった。
歌手は騎手、主作詞者は競馬実況アナウンサー(山田氏は作詞家だが補作)と二人とも音楽については素人であり、作曲もサッと作ったものとの事で、小坂氏はヒットする自信はなかったらしい。
初めて一般公開がされたのはフジテレビが同年12月15日の有馬記念の中継および現地の競馬場で、ハイセイコーがゴールインした直後にBGMとして流された時である。
このレースでのハイセイコーは2着だったにもかかわらず、カメラはハイセイコーを映し、タケホープに先着したことを繰り返し伝えた。
当然1着だったタニノチカラの騎手、田島日出雄氏は
「なんだ、あれは!勝ったのはオレのタニノチカラなんだぞ。ふざけるな、バカ野郎」
と言って舌打ちをしたそうな。キレて当然だ。
タニノチカラの扱いは不運だったが、この扱いを不当だと思わないほどハイセイコーは特別な馬だ、というのが当時の競馬ファンの認識だったのだろう。
さらに26日に東京競馬場で行われたイベント「ハイセイコーとファンの集い」では、集まった4000人ほどのファンの前で増沢氏がさらばハイセイコーを披露した。
レコードは翌1975年の1月1日に発売。ラジオのヒットチャートで1位となり、レコードは50万枚を売り上げた。
増沢氏は騎手としての活動の傍ら、音楽番組にも多く出るようになった。
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最終更新:2025/12/08(月) 12:00
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