ゴーディ・ウィンドホーン(Gordon Ray Windhorn)とは、元プロ野球選手である。故人。
| OB | |
|---|---|
| ゴーディ・ウィンドホーン Gordie Windhorn |
|
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | イリノイ州 |
| 生年月日 | 1933年12月19日 |
| 没年月日 | 2022年5月21日 |
| 身長 体重 |
188cm 81kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打撃 | 右投右打 |
| 守備位置 | 外野手 |
| プロ入り | 1952年 |
| 引退 | 1969年 |
| 経歴 | |
| 選手歴 | |
| プロ野球選手テンプレート | |
1933年12月19日生まれ。アメリカ合衆国イリノイ州ワツセカ出身。
プロ入りからしばらくはマイナー暮らしが続いた。8年目の1959年、ようやくメジャー稜角を果たし、7試合に出場したが活躍できなかった。その後もマイナー暮らしが続き、1961年にはロサンゼルス・ドジャースへ移籍。1962年にはカンザスシティ・アスレチックスへ移籍したが、同シーズン途中にロサンゼルス・エンゼルスへ移籍するなど、メジャー球団を転々としたが、メジャー定着とはいかなかった。
1964年、レフトのレギュラーとして起用され、123試合に出場して、打率.231、19本塁打、40打点を記録。打順は5番打者としての起用が多かったが、1番や6番としても20試合以上起用された。
1965年、1番打者として起用され、打率.251、17本塁打、34打点を記録。
1967年、シーズンと押して好調をキープし、打率.285、25本塁打、60打点、15盗塁を記録した他、パ・リーグ最多の25得点を記録し、阪急球団初優勝に大きく貢献。
1968年は大熊忠義の台頭もあり、出場機会を大きく減らしたものの、10本塁打を放つなど、意地を見せた。
1969年、66試合の出場にとどまり、同年限りで阪急を退団。そのまま現役を引退したようである。
俊足強打を武器に活躍した外野手。初級から積極的に打ちに行くスタイルであり、四球数が極端に少ないせんしゅでもあった。
試合中に軽くふざけたところ、西本幸雄監督から平手打ちされたことがある。
| 通算:9年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| MLB:3年 | 95 | 122 | 108 | 20 | 19 | 2 | 8 | 1 | 3 | 0 | 11 | 0 | 19 | 2 | .176 | .252 |
| NPB:6年 | 641 | 2148 | 1966 | 284 | 501 | 86 | 217 | 45 | 16 | 15 | 144 | 7 | 280 | 31 | .255 | .306 |
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最終更新:2025/12/10(水) 11:00
最終更新:2025/12/10(水) 11:00
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