バールーフ・デ・スピノザ(1632~1677)とは、オランダの神学者・哲学者である。汎神論哲学を唱え、存命中は「無神論者」と非難されたが、ドイツ観念論やフランス現代思想など後世の思想家に大きな影響を与えた。
1633年にアムステルダムのユダヤ人貿易商の家庭に生まれる。
当時のユダヤ教の教えに批判的な立場をとったことから、ユダヤ人共同体からの破門、暗殺未遂などの憂き目に遭っている。追放後はハーグに移住、執筆活動を行った。
1673年にハイデルベルク大学教授に招聘されるが、辞退した。
1674年には『神学・政治論』が禁書となったことから、翌年に1675年に完成した『エチカ』の出版を断念している。
1677年に死去。
スピノザは、デカルトに端を発する大陸合理論者の一人と呼ばれる。確かにその通りだが、デカルトが心身二元論を唱えたのに対し、スピノザは「汎神論」と呼ばれる一元論の一つを唱えたという違いがある。
これを元に「すべては必然的な因果関係からなり、偶然などは存在しない」「自由意思は存在しない」といったこともいっている。
上記のような汎神論、自由意思の否定から、スピノザは『エチカ』で以下のようなことを述べている。
彼の主著『エチカ』が「倫理学」を意味するように、彼は自分の思想が倫理や社会にもよい影響をもたらすと述べている。これを元に、彼は政治や国家についても論じている。
スピノザは「神」という言葉を使っているが、彼が伝統的なユダヤ・キリスト教の人格神・唯一神を想定しているわけではないことに注意する必要がある。彼はむしろ、神は「人格神」でも「創造者」でもないといっており、彼が「無神論者」と非難された理由はここにある。
「神即自然」という言葉にあるように、彼は自然や世界のあり方そのものが「神」なのだと述べている。
すべてのものに神が宿っているというアニミズムと比較されることもあるが、そういった神秘的・宗教的な「神」とは一線を画すると考えるべきである。
デカルトやスピノザが唱えた合理論は、ヒュームやロックの唱えた経験論とともに、カントによって統合された。
ヘーゲルはスピノザを高く評価しており、「スピノザ哲学か、さもなければ哲学ではない」とすらいっている。
ただ、ヘーゲルはスピノザ哲学の批判的視線をも向けてもいて、スピノザ『エチカ』のように、いきなり定義や定理から始めるような哲学には「意識の経験の学」が欠けているともいっている。
カント以降、神や絶対者、理性といった観念的なものを世界の原理と見る学者が登場した。彼らがシェリング・フィヒテ・ヘーゲルなどであり、「ドイツ観念論」と総称されるが、そこにはスピノザの汎神論の影響を見ることができる。
「倫理学」の項で述べたような自己肯定・世界肯定の思想は、後のニーチェやドゥルーズなどにも影響を与えている。ドゥルーズは『スピノザ』という書物を書き、スピノザについて論じている。
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最終更新:2024/12/26(木) 23:00
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