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1 ととまろ
2013/09/09(月) 00:57:40 ID: VRRPUl+sUy
戦国時代に、周防(山口県東部)山代地方に三分一式部丞(しきぶのじょう)という豪族が、厳島の戦いで勝利した毛利元就勢と戦ったということです。
で、その子孫が俺の小学校の同級生でして、苗字の由来を教えてくれました。
その昔(戦国時代よりは確実に前だが具体的な時代は分からない)領主から三人の地主に「白いものを三つ献上せよ」と言われ、一人は米・一人は塩・一人は紙を献上したという。その功績によって「三つの御下命のうち一つずつ応えたのだから」という理由から、米の三分一・塩の三分一・紙の三分一と命名されたそうだ。時代が下って何故かその米塩紙の区別をつけなくなり、全て三分一と呼ばれるようになったようです。
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最終更新:2025/12/19(金) 07:00
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