中谷信夫(なかたに のぶお)とは、元プロ野球選手である。故人。
| OB | |
|---|---|
| 中谷信夫 | |
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 京都府京都市 |
| 生年月日 | 1922年10月4日 |
| 没年月日 | 1992年5月21日 |
| 身長 体重 |
173cm 64kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打撃 | 左投右打 |
| 守備位置 | 投手 |
| プロ入り | 1947年 |
| 引退 | 1955年 |
| 経歴 | |
| 選手歴 監督・コーチ歴 | |
| プロ野球選手テンプレート | |
京都第一工業学校へ進学。投手として活躍したが、在学中甲子園大会には出場できなかった。
卒業後、南海ホークスから入団の誘いを受けたが、同校の教師たちから「職業野球なぞに行ったら学校の名折れだ」と言われ、立命館大学に進学。
その後、応召を受け、戦後は門司鉄道局に入社し、同社でプレーしていた。
初年度の1947年、開幕後の入団であったが42試合に登板。16試合で完投するなど先発投手として活躍し、15勝18敗、防御率2.40と好成績を残した。
1948年、別所昭(別所毅彦)や柚木進とともに先発投手の軸として起用されると、開幕から12連勝を飾るなど好調な滑り出しを見せ、シーズン終了時には球団記録となるシーズン10完封を記録。同年は22勝12敗、防御率1.98を記録。
1949年は12勝19敗、防御率4.26とやや低調な成績に終わった。
1951年、14勝2敗と大きく勝ち越し、勝率.875で最高勝率のタイトルを獲得。
1952年以降は低迷。
オーバースローから放たれる鋭いシュートやスライダーを武器に活躍した左腕。
グラウンドマナーが良かったという記述が残っている。
| 通算:9年 | 登板 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| NPB | 315 | 59 | 17 | 90 | 76 | --- | --- | .542 | 1500.0 | 450 | 577 | 642 | 509 | 3.05 |
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最終更新:2025/12/16(火) 06:00
最終更新:2025/12/16(火) 06:00
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