勤労感謝の日とは、日本の「国民の祝日」のひとつである。11月23日と定められている。
「国民の祝日に関する法律」の第2条で規定されている祝日。その条文では
と記されている。
つまり勤労だけではなく、生産を祝い、日本国民たちが互いに感謝するための日ということになる。
元々この11月23日は、明治6年(1873年)から「新嘗祭」という名称の「祝祭日」であった。この「新嘗祭」は元々は収穫に対する神々への感謝を込めた宮中祭祀であり、それを国民全体へと拡張したものが祝日としての「新嘗祭」であった。その後、1948年7月20日に公布・施行された 上記「国民の祝日に関する法律」によって、日付は変更されないものの名称が「勤労感謝の日」と変更になった。
ちなみにこの時に、「新嘗祭→勤労感謝の日」同様に「日付は変更されなかったが名称が変更された」祝日は他にも複数ある(春季皇霊祭→春分の日、天長節→天皇誕生日、秋季皇霊祭→秋分の日、明治節→文化の日)。
ちなみに、なぜ「収穫祭」的な意味であった「新嘗祭」が、全く異なりはしないものの少し意味が変化した「勤労感謝の日」になったのかについては、国会議事録に以下のような発言記録がある。
この委員会が発足した当初でありますが、数名の委員から、五月一日をメーデーに設定したい、メーデーを祝祭日に定めたいという御希望があつたのであります。併しそれがいろいろ論議された結果、祝祭日を定める基準の中に、國民全体が祝う日にしたい、或る一部の團体とか、或る一部の民間の行事田、勿論これを、祝祭日を決めるから、これらの民間の行事はやつてはいけないというふうなことは絶対にないのであるから、そういうふうなものは飽くまでやることは結構であるし、ここでは國民全体が祝う日を定めたいのであるからというような反対御意見もありまして、それがメーデーが大体採用にならないような状態であつたということが一つ、もう一つは、世界のメーデーの歴史はいろいろありまして、違いもありますが、日本のメーデーは、労働を祝うと同時に、一面階級鬪爭の一つの表現として行われておる、その歴史からして、この日を祝日にするのはどうか、むしろそういう歴史を重んずる意味からしても、從來の民間行事としてますます盛んにやつて貰つた方がいいのじやないかという意見、それから、併し日本の再建の基礎は労働と生産にあるのであるから、勤労ということをもつと我々が尊重しなければならない。從來は十一月二十三日を以て主として收穫を祝つたのでありますが、それも勿論大事であるが、海の生産、山の生産も、もつと我々は考慮しなければならない。そういう希望も出て來ておつたので、それら一切を含めた感謝の日を持とうではないか、こういう観点から、生産感謝の日として、各委員の御賛成を得たのでありますが、生産という言葉が少し固苦しい、しつくりしないので、それが削られて「感謝の日」となつたのでありますが、ところが衆参両委員会の打合会において「感謝の日」とだけでは漠然として分らない、「労働感謝の日」として貰いたいという希望と、「勤労感謝の日」として貰いたいという、こういう二つの修正意見が出まして、大多数を以て「勤労感謝の日」と定まつた次第であります。[1]
つまり、祝日を改訂する際に、労働者の日である「メーデー」を祝日にしてはどうかという提案があったところ、「国民全体が祝う日としてはいまいち」「階級闘争の表現として行われている」「民間行事として行った方がよい」という反対意見があり制定に至らず。
しかし「労働と生産を祝う、勤労を尊重する」というアイディアは良しとされ、収穫を祝っていた従来の「新嘗祭」の日である11月23日に、農産だけではなく海や山の生産も合わせた感謝の日として「生産感謝の日」とする案が登場。
しかし「生産という言葉は堅苦しくしっくりこない」という意見から「感謝の日」に変更。さらに「ただの「感謝の日」じゃ漠然としすぎており分かりにくい」いう意見から「労働感謝の日」「勤労感謝の日」という意見が出て、最終的に「勤労感謝の日」が採用されたのだという。
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最終更新:2024/11/01(金) 08:00
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