北条泰家 / 北条時興(?~?)とは、北条高時の同母弟である。
北条高時出家後、北条氏の家督を狙っていた。倒幕後は脱出して再起を図るも、もろもろが失敗してその後は足取りがわからなくなる。
北条貞時と大室泰宗(安達氏)の娘の息子。通称は四郎。諱は時利→泰家→時興。
初めて登場するのは嘉暦元年(1326年)で、兄・北条高時が執権を退くときにこの継承を望むが、長崎一門や摂津親鑑をはじめとする猛反発があった結果、北条泰家派は全員出家。結局いい感じに執権の座をぶん投げられた金沢貞顕は、本人の書状を見た限り全く予想してなかった就任に当初は喜んだが、周囲の状況を理解するうちに、北条泰家派を恐れて10日程度で辞任。という壮絶な混乱を招いた。なお、法名は恵性。
この後、元弘の乱において新田義貞軍を迎撃し、国分河原で勝利するが、翌日に敗れ撤退。『太平記』では北条邦時を五大院宗繁に、北条時行を諏訪盛高に任せて脱出させ、彼自身も奥州に脱出する。この2人の甥のうち、北条時行が生き残ることとなる。
やがて北条時興を名乗っていた彼が、西園寺公宗を頼る。かくして、建武2年(1335年)に北条時行、名越時兼と彼の3か所同時蜂起を計画するが、西園寺公宗の謀反計画が盛大にばれ、逃走する羽目になった。その後は建武3年(1336年)2月に信濃で挙兵したことのみが知られる。
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最終更新:2025/12/06(土) 10:00
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