中先代の乱とは、建武2年(1335年)に起きた北条時行による乱である。
鎌倉幕府滅亡後、散発的に起きていた旧幕府勢力の反乱。その最大規模にして、建武政権崩壊のきっかけ、および南北朝時代突入の端緒となったのが、この乱である。なお、執権北条氏(先代)と室町幕府将軍(当代)の間に挟まれているから、中先代。
ただし、この乱の性格であるが、大体以下の論争が起きている。
2007年の鈴木由美の「中先代の乱に関する基礎的考察」が研究の始まりとも言われるほど最近ようやく検討されるようになった事件であるが、今のところは、以下のような流れの評価に落ち着いている。要するに寄せ集めの軍勢だったので負けるべくして負けたが、足利尊氏が建武政権を離反するきっかけとなったことに意義がある、というものである。
鎌倉幕府滅亡後、建武政権になったわけだが、依然として北条与党の反乱は起こり続けていた。
| 年月 | 場所 | 事件 | 出典 |
|---|---|---|---|
| 元弘3年(1333年)12月 ~建武元年(1334年)11月 |
奥州北部 | 名越時如、安達高景らが蜂起、皇族・式部卿宮が与同 | 青森県史料41、42、57、72、『元弘日記裏書』 |
| 建武元年(1334年)4月~6月 | 陸奥 | 陸奥石河合戦 | 遠野南部文書 |
| 建武元年(1334年)1月~7月 | 北九州 | 最後の鎮西探題・赤橋英時の猶子・規矩高政、糸田貞義兄弟の反乱 | 『歴代鎮西誌』、南北朝遺文九州編91号、『太平記』 |
| 建武元年(1334年)3月~8月 | 北関東 | 本間氏、渋谷氏、江戸氏、葛西氏ら北条氏被官の蜂起が相次ぐ | 『元弘日記裏書』、『梅松論』、『将軍執権次第』、『鎌倉大日記』『保暦間記』、神奈川県史料3305号 |
| 建武元年(1334年)3月 | 駿河 | 反乱 | 静岡県史料38号 |
| 建武元年(1334年)7月 | 日向 | 北条氏一族・遠江掃部助三郎が挙兵 | 南北朝遺文九州編101号 |
| 建武元年(1334年)10月 | 越後 | 小泉持長、大河将長らが蜂起 | 色部文書 |
| 建武元年(1334年)10月 ~建武2年(1335年)1月 |
紀伊 | 北条氏一族・佐々目僧正顕宝や湯浅党の六十谷定尚が蜂起 | 『太平記』、『元弘日記裏書』 |
| 建武元年(1334年)12月 | 美濃・尾張 | 反乱 | 長門熊谷家文書、上総藻腹寺文書 |
| 建武2年(1335年)1月 | 長門 | 最後の長門探題・北条時直の子・上野四郎入道や金沢将監が挙兵 | 『師守記』 |
| 建武2年(1335年)2月 | 信濃 | 反乱 | 市河文書 |
| 建武2年(1335年)2月 | 伊予 | 赤橋重時が挙兵 | 南北朝遺文中国四国編181号、『太平記』 |
| 建武2年(1335年)2月頃 | 備中 | 反乱 | 南北朝遺文中国四国編123号 |
| 建武2年(1335年)2月頃 | 讃岐 | 反乱 | 『紫雲山代々旧記』 |
| 建武2年(1335年)3月 | 下野 | 反乱 | 水府史料、白河石川文書 |
| 建武2年(1335年)3月頃 | 越後 | 反乱 | 色部文書 |
| 建武2年(1335年)3月 | 信濃 | 反乱 | 市河文書 |
| 建武2年(1335年)4月 | 京都 | 北条氏一族の高安らが毘沙門堂近辺で立て籠もり | 『五大虚空蔵法記』 |
佐藤進一は以下のようにこれらの反乱を評している。
ただし、鈴木由美がこれらの反乱を再検討し、以下のように反論している。
鈴木由美の検討に従うと、北条氏は建武政権に不満を抱く武士を糾合する権威として機能した、というわけである。
とはいえ、これらの反乱は相互に全く連携しておらず、散発的に発生しては各個撃破されていったのである。
『小槻匡遠記』によると、建武2年(1335年)6月、代々関東申次を務めていた西園寺公宗が太上天皇(光厳上皇?)を奉じて挙兵し、北条高時の弟・北条泰家(北条時興)を京都の大将、北条時行を関東の大将、名越時兼を北陸の大将として蜂起する計画が発覚した。
公宗の乱は未然に防がれたが、北条時行は諏訪頼重、諏訪時継父子らに擁立され信濃で挙兵。ただし、この挙兵は『梅松論』の7月と、『法華問答正義抄』の6月の2通りの説がある。ただし、鈴木由美もあくまでも留保しており、阪田雄一にやっぱり7月でしょ、といわれているので、大体7月くらいで。
ここから、中先代の乱の時系列を図にしてみる(鈴木由美「中先代の乱に関する基礎的考察」をもとに作成)。
| 日時 | できごと | 典拠 |
|---|---|---|
| 建武元年(1334年) 11月19日 |
中務権大輔(北条時行?)が軍勢催促 | 南北朝遺文関東編166号 |
| 11月30日 | 中務大輔(北条時行?)が軍勢催促 | 南北朝遺文関東編177号 |
| 建武2年(1335年) 3月 |
常岩北条で反乱 | 市河文書 |
| 3月8日 | 常岩北条の反乱鎮圧 | 市河文書 |
| 3月16日 | 府中の反乱のために守護・小笠原貞宗が発行 | 市河文書 |
| 6月?日 | 信濃国司下向 | 市河文書 |
| 6月17日 | 持明院統の上皇、京極殿に移される | 小槻匡遠記 |
| 6月22日 | 西園寺公宗ら捕らわれる | 小槻匡遠記 |
| 6月23日 | 北条時行挙兵? | 法華問答正義抄 |
| 6月24日 | 西園寺公宗の陰謀露見により祈祷 | 門葉記 |
| 6月26日 | 西園寺公宗らの罪名定 | 小槻匡遠記 |
| 6月27日 | 西園寺公宗、流罪と決定す | 小槻匡遠記 |
| 7月2日 | 天下静謐のために祈祷 | 門葉記 |
| 7月13日 | 市河助房ら、小笠原貞宗のもとに到着 | 市河文書 |
| 7月14日 | 信濃守護小笠原貞宗、保科弥三郎等と船山郷青・八幡河原・篠井河原・四宮河原で合戦 | 南北朝遺文関東編261号 |
| 7月15日 | 時行方、八幡河原・福井河原・村上河原で合戦。22日まで戦い続ける | 南北朝遺文関東編279号 |
| ? | 諏訪頼重、信濃国司を攻める。信濃国司自害 | 金勝院本『太平記』 |
| 7月18日 | 諏訪頼重ら、上野に侵攻 | 金勝院本『太平記』 |
| ? | 岩松四郎、上野蕪川で時行方に敗戦 | 太平記 |
| ? | 渋川義季、武蔵久米川で時行方と合戦。その後、義季女影原へ向かう | 金勝院本『太平記』 |
| ? | 武蔵女影原合戦 岩松経家・渋川義季が戦死 |
梅松論 |
| ? | 小手指河原で今川範満が戦死 | 難太平記 |
| ? | 府中で小山秀朝が戦死 | 梅松論、元弘日記裏書 |
| 7月22日 | 足利直義、鎌倉を出て武蔵井出沢で時行方と戦う | 梅松論 |
| 7月23日 | 足利直義、鎌倉を出る | 神奈川県史料3220号 |
| 7月24日 | 武蔵鶴見合戦 佐竹秀義が敗北 佐竹義直討死 |
神奈川県史料3296号 |
| 北条時行、鎌倉に入る | 神奈川県史料3220号 | |
| 越後大面荘で小諸・林氏が蜂起 | 実廉申状 | |
| 大体この辺 | 足利直義方が護良親王を殺害 | 太平記 |
| 大体この辺 | 大江時古、成良親王と帰京 | 元弘日記裏書 |
| 7月28日 | 諏訪頼重ら追討のために祈祷 | 続史愚抄 |
| 8月1日 | 信濃の蜂起により祈祷 | 柳原家記録 |
| 信濃望月城にて合戦 | 市河文書 | |
| 8月2日 | 足利尊氏、京を出る | 梅松論 |
| 西園寺公宗ら斬られる | 尊卑分脈 | |
| 8月3日 | 鎌倉大仏殿を大風が襲う | 太平記 日野市史料103号 |
| 8月9日 | 橋本合戦 | 神奈川県史料3231号 |
| 陸奥で結城盛広が中先代の乱に与し、所領が結城宗広に預けられる | 白河結城文書 | |
| 8月12日 | 小夜中山合戦 | 神奈川県史料3231号 |
| 北条時行が寺領安堵 | 南北朝遺文関東編265号 | |
| 8月13日 | 結城盛広、祐義らの拠る奥州長倉城にて合戦 | 福島県史料47-九四号 |
| 8月14日 | 駿河国府合戦 | 神奈川県史料3231号 |
| 8月15日 | 三浦時明が鶴岡八幡宮に寄進 | 南北朝遺文関東編269号 |
| 8月17日 | 箱根合戦。大将三浦若狭判官 | 神奈川県史料3231号 |
| 8月18日 | 相模川合戦 今川頼国らが戦死 |
神奈川県史料3231号 |
| 8月19日 | 辻堂・片瀬原合戦 佐々木時綱らが負傷 |
神奈川県史料3231号 |
| 諏訪頼重・時継ら鎌倉大御堂で自害 | 神奈川県史料3231号 太平記 |
|
| 8月28日 | 武石胤顕が木幡山にこもる小平氏らを退治資するために、伊賀盛光に軍勢催促 | 磐城飯野文書 |
| 8月のどこか | 北陸で凶徒放棄(名越時兼?) | 神奈川県史料3255号 |
| 時期不明 | 南部政長が津軽山辺合戦で勲功をあげる | 遠野南部文書 源氏南部八戸家系 |
| 時期不明 | 河野通任が中先代の乱に呼応 | 河野系図 |
| 9月21日 | 越後で悪党人退治のため、色部一族に軍勢催促 | 色部文書 |
| 9月22日以前 | 村上信貞が坂木北条城を攻略 | 市河文書 |
| 9月25日 | 足利尊氏が恩賞をばらまきだす | |
| 9月30日 | 信濃国司堀河光継が下向し、小笠原氏と横川城攻撃 | 市河文書 公卿補任 |
上の表だが、7月14日に挙兵した信濃内の戦乱は北条時行方の敗戦濃厚でじりじりと時間が経っていった。しかし、この間急に関東に北条時行軍が現れる。つまり、信濃の挙兵は陽動であり、本隊が鎌倉に向かっていたのである。
一方で小笠原貞宗もこの反乱を頻発する一連の反乱のひとつとみなし、尾張を抜けて京都に向かう可能性を想定してしまった。しかし、この油断によって鎌倉への連絡が一切なく、反乱軍が関東に向かってしまった、という結果論である。
反乱側は7月18日には上野へ侵攻し、足利直義軍の渋川義季、岩松経家、小山秀朝ら大将格を多数討ち取るレベルで完膚なきまでに打ち破り、24日に鎌倉入りした。
この時期に足利直義は護良親王を殺害し、成良親王を送り返している。とはいえ、この時点では建武政権の離反を考えていたというよりも、あくまでも不平分子としてとらえられている前将軍だの幼い親王だのを擁立されるとまずい、という極めて現実的な判断だったとされる。あくまでも、負けっぱなしだった鎌倉将軍府の長としての抵抗だった、ということになる(ソースが太平記くらいしかないのではっきりとは言えないけど)。
なお、北条時行方であるが乱中における発給文書の年号は建武ではなく正慶である。つまり、建武政権そのものを否定していたのだ。とはいえ、この点も、足利直義に吏僚層全員連れてかれていたことによる、妥協ともいえなくもない。
こうして、足利直義の惨敗に対し足利尊氏が8月2日に出立。今川頼基らを失ったものの破竹の勢いで北条軍に勝ち続け、諏訪父子らは自害を遂げる一方、幼い北条時行は離脱し、足利軍はあっけなく鎌倉を奪還した。ちなみに、後日反乱側だった三浦時継一門の乗った船が熱田に漂着して大宮司に捕まったことから、脱出は海路だった可能性がある。
いたことが何らかの記録に残っている人間のみ(足利尊氏軍には大体の人間がいたとは思うが…)。
| 反乱側 | 鎮圧側 | ||
|---|---|---|---|
| 氏名 | 補足 | 氏名 | 補足 |
| 本来関わってたっぽい人たち | |||
| 太上天皇(光厳上皇?) | 持明院統法皇 | ||
| 西園寺公宗× | 西園寺公重 | 西園寺公宗弟 | |
| 橋本俊季 | 西園寺家傍流 | ||
| 日野資名 | |||
| 日野氏光× | 左衛門佐、日野資名の子 | ||
| 三善文衡 | 法師、西園寺家の家司 | ||
| 中原清景 | 散位、マジで誰か不明 | ||
| 北条泰家 | 得宗流北条氏、蜂起失敗後に逃走し、翌年に信濃で蜂起 | ||
| 名越時兼 | 名越流北条氏、おそらく北陸で蜂起したっぽい(神奈川県史料3255号) | ||
| 本戦 | |||
| 北条時行 | 得宗流北条氏 | 足利直義 | |
| 名越式部大輔 | 名越流北条氏…だが太平記にしか出てこない | 渋川義季× | 足利直義義弟、関東廂番 |
| 備前式部大夫入道× | 名越流北条氏? | 岩松四郎 | |
| 尾張次郎× | 名越流北条氏? | 岩松経家× | 飛騨守護、関東廂番 |
| 極楽寺 | 極楽寺北条氏…だが梅松論にしか出てこない | 小山秀朝× | 下野守護 |
| 塩田陸奥八郎 | 極楽寺流北条氏、捕らえられる | 佐竹貞義 | 常陸守護 |
| 大仏 | 大仏流北条氏…だが梅松論にしか出てこない | 佐竹義直× | |
| 諏訪頼重× | 御内人 | 細川頼貞× | おそらく足利義詮付き、鎌倉大日記にしか出てこない |
| 諏訪時継× | 諏訪頼重息子 | 今川範満× | 難太平記にしか出てこない |
| 諏訪次郎 | ?、捕らえられる | 足利義詮 | ぶっちゃけ幼児なのでいただけだが追記 |
| 安保道潭の子 | 御内人 | 成良親王 | ぶっちゃけいただけだが追記 |
| 渋谷の一族 | 御内人 | 大江時古 | 成良親王付きで、彼とともに帰洛 |
| 三浦時明× | 関東廂番、なお佐原氏系統なのでほぼ御内人 | 入江春倫 | 敗走する足利直義軍に合流 |
| 三浦時継× | 御内人 | 淵野辺伊賀守? | 太平記に出てくる護良親王の殺害者 |
| 工藤四郎左衛門 | 御内人 | ||
| 蛭河彦太郎入道 | 御内人?児玉党 | ||
| 塩谷民部大夫 | 御内人?宇都宮氏 | ||
| 海上師胤 | 千葉氏傍流、北条氏の被官?、降伏 | ||
| 千葉二郎左衛門尉 | 千葉氏?、降伏 | ||
| 大須賀弥四郎左衛門尉 | 千葉氏傍流、御内人?、降伏 | ||
| 天野貞村 | 関東廂番、北条氏側近?、降伏 | ||
| 伊東祐持 | 関東廂番、北条氏側近、降伏 | ||
| 天野一族 | 宇都宮能登入道を討ち取り降伏 | ||
| 宇都宮能登入道× | 宇都宮氏? | ||
| 清久山城守 | 金沢流北条氏の被官? | ||
| 那波政家 | 関東廂番、大江氏の内没落した系統 | ||
| 滋野一族 | 信濃神党 | ||
| ?宏元 | |||
| ?貞宗 | |||
| ?高泰 | |||
| 丸六郎 | ?、降伏 | ||
| 奥五郎 | ?、降伏 | ||
| 松野又二郎 | 捕らえられる | ||
| 松野彦五郎入道 | 捕らえられる | ||
| 松野彦五郎入道子 | 捕らえられる | ||
| 信濃戦線 | |||
| 保科弥三郎 | 小笠原貞宗 | 信濃守護 | |
| 四宮左衛門太郎 | 市河助房 | 信濃の神党のひとつ | |
| 市河倫房 | |||
| 市河長房 | |||
| 市河親宗 | |||
| 市河助保 | |||
| 清原真人× | 信濃守 | ||
| 足利尊氏の迎撃軍 | |||
| 足利尊氏 | |||
| 今川三郎× | |||
| 今川頼国× | |||
| 今川範国 | |||
| 河ばたの人々× | |||
| 上野頼勝 | |||
| 吉良満義 | |||
| 仁木義煕 | |||
| 細川和氏 | |||
| 上杉重顕 | |||
| 高師泰 | |||
| 高師兼 | |||
| 高師久 | |||
| 大高重成△ | |||
| 土岐貞頼× | |||
| 土岐頼明× | |||
| 土岐頼明弟× | |||
| 佐々木壱岐五郎左衛門尉(長信?)× | |||
| 佐々木時綱△ | |||
| 佐々木時綱息子△ | |||
| 佐々木導誉 | |||
| 宇都宮貞宗 | |||
| 宇都宮貞泰 | |||
| 宇都宮高貞 | |||
| 赤松貞範 | |||
| 千田太郎 | 千葉氏一族 | ||
| 大須賀左衛門尉 | 千葉氏一族 | ||
| 長井時春 | |||
| 長井左衛門蔵人 | |||
| 二階堂行脩× | |||
| 二階堂行登× | |||
| 安保光泰 | |||
| 小笠原頼氏× | |||
| 小笠原頼氏子× | |||
| 小笠原長頼?× | |||
| 小笠原長頼?子× | |||
| 片山兵庫△ | |||
| 葦名盛員× | 三浦氏 | ||
| 葦名高盛× | 三浦氏 | ||
| 大類五郎左衛門尉 | 児玉党 | ||
| 烟田幹宗 | 常陸平氏 | ||
| 烟田時幹 | 烟田幹宗息子 | ||
| 小野寺顕通 | 8月19日に合流 | ||
| 富来忠茂 | 豊後の武士 | ||
| 松本氏貞× | |||
| 味原三郎× | |||
| 味原出雲権守△ | |||
| 阿野実廉 | 後醍醐天皇側室・阿野廉子の兄 | ||
| 城山貞守 | 阿野実廉配下 | ||
| 香川宗景 | 阿野実廉配下 | ||
| その他 | |||
| 結城盛広 | 陸奥で連鎖反応的に挙兵 | ||
| 結城祐義 | 陸奥で連鎖反応的に挙兵 | ||
| 小田氏 | 陸奥で連鎖反応的に挙兵 | ||
| 石川氏 | 陸奥で連鎖反応的に挙兵 | ||
| 河野通任 | 伊予で呼応したらしい | ||
ただし、こうして鎮圧されると、後醍醐天皇としては勝手に行ったとはいえ、足利尊氏の軍事力を認めざるを得ず、小山秀朝の息子・小山朝氏への継承を認めたり、大友貞載への綸旨を出したりと、反乱鎮圧のための協力を惜しみなくしていた。
ところが、9月27日。足利尊氏が勝手に恩賞を与えだす。というか、そもそも反乱鎮圧なのに吏僚層等組織丸々連れて行っていたので、足利尊氏としては下向したはじめから武家政権やっちゃおっか的なノリだったと思われる。
が、これが盛大に後醍醐天皇の反感を買い、新田義貞軍が派遣され、足利尊氏がひきこもるのだが、箱根竹之下の戦い以後はこの記事で触れると長くなるのでパス!
一方で、当初の計画とは異なり北条軍は各個撃破されてしまい、建武3年(1336年)2月には北条泰家が再度信濃で挙兵するも、3月に鎌倉で斯波家長に撃退されている。この鎌倉合戦であるが、かなりの激戦だったようで、既に西国で戦闘している足利兄弟に代わって吉良貞家・斯波家長らの総力戦が展開されたようだ。
ただし、信濃国はこの乱以後も北条氏方が抵抗を続け、次第に南朝方に向かっていく。
掲示板
2 ななしのよっしん
2021/08/29(日) 19:52:48 ID: N/P1ZaUpxD
尊氏「声が聞こえる…私に真の帝になれという声が…」
目キュピーン天皇「裏切ったな尊氏!」
実は尊氏に潜んでいた「何か」が動乱の世をもたらすために尊氏の体を借りていた…とかそういう理由付けになったりして
3 ななしのよっしん
2023/06/18(日) 18:48:36 ID: H7e6X/LnY5
逃げ若見てから室町に興味湧いてきたけど、大河でもう一度太平記やる流れ来るんじゃねえかな?
4 ななしのよっしん
2023/06/18(日) 18:50:33 ID: Y6VsTUKC6S
菊タブーを再び乗り越えられるかな?
急上昇ワード改
最終更新:2025/12/12(金) 17:00
最終更新:2025/12/12(金) 17:00
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