土佐一条氏とは、土佐にあった公家であり武家である。戦国三国司のひとつ。
「日本無双の才人」「五百年来この才覚なし」と謳われた一条兼良の子で、関白一条教房が土佐に下向したことから始まる。子孫は土佐にいながら代々かなりの高位高官を賜った。どのくらいか高かったといえば、十三代将軍足利義輝が従三位参議並左近衛中将だったその頃、一条兼定は従三位権中納言と一つ上である。
その官位は土佐の豪族たちにはかなり有効だったようで、管領並土佐守護であった細川氏と土佐の勢力を二分し、細川氏の中央撤退後は、土佐七雄の盟主的存在として中期まで権勢を維持、戦国末期まで存在した。
ちなみに、二代房家の時に本山氏に責められ滅んだ長宗我部氏を再興している。
その後も、中央の公家や周辺の有力大名と手を組んで一定の権威を保ち続けた。
しかし、五代一条兼定の時代に、長宗我部氏の勢力の伸長により土佐を追われ、大友氏の支援を得るも、四万十川の戦いで敗れ土佐に残っていたその足がかりを完全に失った。以後、二代にわたり長宗我部氏の傀儡として扱われ長宗我部氏没落に伴い断絶。見事に恩を仇で返された格好になった。
しかし、明治期に本家一条氏から分家を出す形で再興、男爵を任じられた。
ニコニコ動画では、信長の野望などでダメ武将の筆頭として一条兼定が大いにイジられている。本来であれば、前述の一条兼良を始めとして歴代の先祖は非常に優秀なのに遺伝子がどう作用したのかしらないが、どうしてこうなった。
彼の名誉のために申し上げておくと、彼は土佐追放後も旧領奪回に並々ならぬ執念を燃やしていて、さらに彼が大友氏の支援を受けて土佐に戻った際には、兵力では長宗我部氏に劣るとはいえ、伊予土佐の旧臣たちが駆けつけているのである。
更に、彼はこの後隠棲をするのだが旧臣に暗殺されかけている。つまり、長宗我部氏にとって兼定の存在は暗殺をしようとするに足る脅威だったのである。
一条兼定の方を見るといいよ
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最終更新:2025/03/21(金) 16:00
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