『信長公記』に織田信長の幼年期に付けられた4人の家老のうち、「一長」という筆頭的存在だった。4人の家老自体は一次史料で否定されているが、秀貞自身は信長付きの家老として信長に相伴したことは事実であるようだ。そして、信長が清州城に移った後は、那古屋城を預けられたらしい。
しかしここで彼の生涯における最大の事件が起こる。織田信長の家老でありながら、信長に不満を持ち、織田信勝を擁立して弟・林美作守、柴田勝家らと謀反を起こしたのである。ところがこの戦いにあっけなく敗北。弟を失ったものの戦後許され、以後はほとんど軍を率いる機会を与えられず、執事的な役割に留められた。
織田信長が上洛した際、これに付き従い、以後は京都で政務を行う。足利義昭の蜂起の際は和睦の起請文に最上位に記載された。このようにほとんど表に立たない存在とはいえ、織田家家老としての地位は保っており、外交面では依然として出番があったようだ。
以後、伊勢長島攻め、播磨国神吉城攻めに出陣した。すでにこのころ高齢であり、おそらく軍監程度であったと言われる。どちらかと言えば公家の奏者を務める側近的な仕事が主であった。
さらに織田信忠に家督が譲られると、以後尾張衆として信忠に付けられ、家臣筆頭として茶会、安土城天主見物などに参加している。ところが1580年8月、突如として家中を追放される。その理由はかつて謀反を行ったことであり、南部但馬(勝利)と名を改めて京都に住むも、その年のうちに没した。
内政屋としてそこそこの能力値だが、人材が充実すると活躍の機会が無くなってしまう。
| 軍事能力 | 内政能力 | |||||||||||||
| 戦国群雄伝(S1) | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | ||||||
| 武将風雲録(S1) | 戦闘 | 39 | 政治 | 70 | 魅力 | 60 | 野望 | 61 | 教養 | 67 | ||||
| 覇王伝 | 采配 | 60 | 戦闘 | 39 | 智謀 | 57 | 政治 | 70 | 野望 | 61 | ||||
| 天翔記 | 戦才 | 98 | 智才 | 144 | 政才 | 140 | 魅力 | 60 | 野望 | 64 | ||||
| 将星録 | 戦闘 | 44 | 智謀 | 77 | 政治 | 65 | ||||||||
| 烈風伝 | 采配 | 41 | 戦闘 | 36 | 智謀 | 67 | 政治 | 62 | ||||||
| 嵐世記 | 采配 | 15 | 智謀 | 65 | 政治 | 54 | 野望 | 73 | ||||||
| 蒼天録 | 統率 | 20 | 知略 | 63 | 政治 | 53 | ||||||||
| 天下創世 | 統率 | 20 | 知略 | 63 | 政治 | 52 | 教養 | 61 | ||||||
| 革新 | 統率 | 30 | 武勇 | 24 | 知略 | 70 | 政治 | 60 | ||||||
| 天道 | 統率 | 30 | 武勇 | 24 | 知略 | 70 | 政治 | 60 | ||||||
| 創造 | 統率 | 34 | 武勇 | 41 | 知略 | 68 | 政治 | 59 | ||||||
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最終更新:2025/12/10(水) 15:00
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