益満休之助 単語

マスミツキュウノスケ

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益満休之助とは、幕末薩摩士である。

概要

保12年(1841年)、薩摩士・益満行充の次男に生まれる。幼名新之助。諱は行武。

安政7年(1860年)、清河八郎山岡舟を中心とする尊王攘夷党、通称虎尾の会に加わり、翌万延2年(1861年)に伊牟田らと米国通訳のヒュースケンを暗殺した。

慶応3年(1867年)京都にて西郷隆盛示を受け江戸に赴き、浪士数人を集めて江戸中を撹乱し幕府や庄内を挑発、武衝突を起こした。この急報が大阪城に届けられたため憤した幕臣、会津、桑名兵を抑えられなくなった徳川慶喜は討を命じ、鳥羽伏見の戦いが勃発した。江戸で捕縛された益満は処刑されかけたが勝海舟の執り成しで助命された。

慶応4年(1868年)3月山岡舟が駿府の西郷に会いに行く際には案内を務め、薩摩兵の群れを通り抜けて山岡西郷のもとに導いた。

5月義隊との戦いに従軍したが流れ弾を受けて死亡享年28。

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最終更新:2024/05/04(土) 14:00

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