段ボール箱に大きな穴を開け、中に煙を入れて発射する「空気砲」や、厚紙で簡単に作れるペーパーブーメランなどの親しみやすい科学実験の実演で知られる人物。
もとは高校の物理教師だったが、1990年代に40代で教師を退職する前後から、サイエンスプロデューサーとしてメディアや各地での講演・実演で活躍している。
1955年千葉県市原市生まれ。のどかな環境の中で遊び道具を作りながら、理科への関心を高めていた。ただ成績が良かったのは理科だけで、ほかの教科の評価は「アヒル(2)ばかり」だったらしい。
経済的な理由から3浪・アルバイトをしながら国公立大学を目指し、比較的入りやすかった教員養成で知られる東京学芸大学に進学した。
大学では3年生の量子力学などの専門的な分野に入るといくつも単位を落とすようになったが、普及し始めたパソコンを使って教育向けとして物理のシミュレーションソフトの開発をし、周囲の教員から高い評価を受ける。一方で研究を続けたいとは思いつつ、半分以上は「社会に出るのが嫌」という理由で大学院に進学し、卒業後も研究生として3年間残り続けた。
研究生時代に教員の勧めで東京都東久留米市にある自由学園の講師を務めた。この講師時代に木炭電池を製作する授業などを開発しており、教育への興味が高まったこともあり、29歳で東京都の高校教師として就職した。
最初は稲城高校(現在は統合を経て若葉総合高校)に赴任するが、当時の生徒は不良や落ちこぼれが多く、どうしたら興味を持ってもらえるか試行錯誤する中で、「手をつないで輪を作り静電気を流す(百人おどし)」などの様々な実験を授業で行うようになった。
稲城高校で8年務めた後小金井北高校に転勤するが、今度は大学進学者が多い学校であり、生徒や周囲の教員が求める授業と自分の適性が違っていると考え、3年で退職を決めた。
退職の直前からNHK教育(現:Eテレ)の番組『やってみようなんでも実験』の出演が増え、退職後にでんじろうを追ったドキュメンタリー番組がNHKで放送された結果、知名度が高まり各地で講演や実験の実演を行うようになった。1998年に「米村でんじろうサイエンスプロダクション」を立ち上げ、一般の人や子供に対して科学の面白さを伝えるサイエンスプロデューサーとして一層活躍するようになった。
2000年代以降もテレビ番組『世界一受けたい授業』などで継続してメディアに出演しているほか、2020年代からは中京テレビの番組『でんじろう先生のはぴエネ!』がインターネットで配信されるようになり、自作した投石器の威力(→動画)や蜃気楼装置を使った顔芸(→動画)などで動画サービス・SNSでもたびたび話題となっている。
掲示板
急上昇ワード改
最終更新:2024/05/09(木) 18:00
最終更新:2024/05/09(木) 18:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。