逸見昌経 単語

ヘンミマサツネ

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逸見昌経(?~1581)とは、戦国時代の武将である。

概要

甲斐源氏の子孫の一つで、若狭武田氏の重臣の一人。駿河守を称し、出していたため通称「駿河入宗全」。若狭西部の大飯を拠点とした有者だったが、もはや謀反を繰り返す存在であった。

逸見という名字武田信義双子などに存在する甲斐源氏であり、おそらく若狭武田氏の支族の一つでまだ安芸にいたころから付き従っていた。以後も応仁の乱武田国信の重臣として逸見入が活躍し、その討ち死に君が遁世を図ろうとしたとまで言われている。しかし、武田四老とまで言われ、大飯高浜に構えたこの一族も、逸見昌経の代にはもはや反抗的な存在と化していた。

若狭国志』によると若狭内で国衆武藤友益と争っていたようで、その上もはや君である武田義統にすら反逆する存在であった。現に永3年(1560年)に粟屋勝久とともに、武田義統に反乱を起こしている。

ただし、以後は対朝倉氏の最前線にいた粟屋勝久べると、何をやっていたかいまひとつわからない。織田信長の上以降若狭の領たちは下に入っていくが、元年間までにはすでに逸見昌経もその中にいたことまでしかわからないのである。とはいえ正3年(1575年)には武田元明らとともに織田信長に謁見している。

どうやら逸見氏は織田信長下で若狭の軍を率いたようで、逸見河内守が越前の攻撃に加わっている。以後、正9年(1581年)のにもおそらく加わったのではないかということしか言えない。『若狭国志』によれば、それから1かもしないその年の3月6日に亡くなったようだ。事情は不明だが彼の領地を継ぐ後継者はいなかったようで、『信長公記』によれば翌には武田元明溝口秀勝に分配された。

補足

信長の野望」(PCシリーズにおける逸見昌経の力一覧。

粟屋勝久らにべると登場頻度がさらに少なかったが、創造PKにてようやく定着することとなった。

軍事 内政
戦国群雄伝(S1) 戦闘 政治 野望
武将風雲録(S1) 戦闘 政治 野望 教養
覇王 采配 戦闘 智謀 政治 野望
天翔記 戦才 智才 政才 野望
将星 戦闘 智謀 政治
烈風 采配 46 戦闘 56 智謀 51 政治 52
世記 采配 34 智謀 39 政治 38 野望 49
蒼天録 統率 43 知略 59 政治 51
下創世 統率 知略 政治 教養
革新 統率 武勇 知略 政治
統率 武勇 知略 政治
創造 統率 52 武勇 60 知略 62 政治 59

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最終更新:2024/04/24(水) 19:00

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