第42代内閣総理大臣を務め、第二次世界大戦の太平洋戦線(太平洋戦争、大東亜戦争)をポツダム宣言受諾により終結に導いたことで知られている。
詳細はWikipediaの記事
などを参照のこと。
1868年(慶応3年)生まれ。もともと軍人としてキャリアを積んでおり、日清戦争従軍ののち海軍大学校を卒業、日露戦争では指揮官を担った。
昭和には予備役の侍従長となり昭和天皇から厚い信頼を得るが、二・二六事件では軍縮派だと見做されて襲撃され、辛うじて一命を取り留めている。
1945年(昭和20年)4月、前任の小磯國昭が戦況悪化により総辞職したことで、枢密院議長から内閣総理大臣に就任。沖縄戦での玉砕など日に日に絶望的となる戦況をいか収拾させるか苦心し、陸軍等の反対もありながら最終的に一度は黙殺したポツダム宣言の受諾を決定させ、大戦を終決させた。これと同時に内閣を総辞職。
終戦後、一時は枢密院議長に復帰するが公職追放令により辞任。1948年(昭和23年)に死去。
掲示板
27 ななしのよっしん
2023/09/10(日) 17:15:52 ID: DBbgiMFnfa
バリバリ江戸時代生まれがやらかした戊辰戦争も、作戦や計画が杜撰だったり、女子供まで駆り出したり、集団自決したり、無条件降伏したりと太平洋戦争そっくりなんだよなぁ
28 ななしのよっしん
2024/08/15(木) 23:45:45 ID: JEMSJi3+Wc
自伝読むと226と宮城事件以外にも結構ピンチ潜り抜けてて草生える
鈴木爺と阿南が内閣に揃ってたのは本当に暁光だったな
29 ななしのよっしん
2025/01/09(木) 18:57:59 ID: cdK28yHP9K
成し遂げた業績に対して余りに評価が低い人
下手すると終戦の功績すら岡田啓介やら米内光政に取られていて
「陸軍に怯えて何も決断できない半ボケ老人」扱いされ、ポツダム宣言黙殺や対ソ交渉失敗については全責任を被せられてる。(某海軍作家を筆頭に、海軍善玉論者の著作ほどこの傾向が強い。)
昭和天皇や阿南陸相と長い信頼関係がある鈴木だからこそ終戦できたのであって、鈴木がいなければ日本は終わっていたと言っても過言じゃない。
少なくとも、開戦時にろくにブレーキを踏まなかった重臣連中より低く評価するのは明らかに不当だ。
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最終更新:2025/12/24(水) 14:00
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