ED72とは、日本国有鉄道(国鉄)が九州地方向けに製造した交流型電気機関車である。
本項目では姉妹機であるED73についても合わせて記述する。
国鉄の動力近代化計画により幹線の電化が進められる中、九州においても北陸・東北と同様に交流電化の採用が決まり、1961年の10月白紙ダイヤ改正(サンロクトオ改正)に先立つ6月、鹿児島本線門司港~久留米間が電化された。これに伴い製造されたのがED72である。
九州の電化方式に合わせ、交流20,000V/60Hz対応機として設計された。
特色とすべきはその外観であり、従来の電気機関車が箱型で貫通扉設置を基本としていた中、非貫通2枚窓と側面から見ると「く」の字型の傾斜が設けられた形状を採用した。
その独特のスタイルのため、「鳩胸」という俗称も付けられている。
当時、まだ客車列車では蒸気機関車で発生した蒸気をパイプで客車に通して暖房を行う方法が主流であり、電化後もその方針が貫かれたため、ED72には蒸気発生装置(SG)が搭載された。然しながら4軸駆動でそれらを搭載すると車両重量が増加するため、国鉄機関車としては初となる中間台車(従台車)が2輪設けられた。これにより軸重は16tとなった。
また翌1962年には、貨物列車及び集中電力方式を採用した20系客車(ブルートレイン)の牽引用にSGを省略したED73が登場している。ED73はED72と基本的な外観が共通であり、実質的に姉妹機である。ただし軸重はSGを省いた代わりに中間台車を省略したため、16.75tとED72よりも重くなった。
なおこのED73が、水銀整流器を採用した国鉄最後の電気機関車となっている。
ED73に関して特筆すべき点として、電車特急の牽引機として改造された機が存在する点があげられる。
1964年10月の東海道新幹線開業に伴い、新大阪駅で接続する特急として「つばめ」「はと」が博多駅発着で設定されることとなった。しかし当時、交直流対応の特急型電車はまだ登場しておらず、直流電化用の151系電車を客車列車同様に関門トンネル内ではEF30、九州内ではED73に牽引させて乗り入れを実施させることとなった。
この際、電車の車内電源を供給するため機関車と151系の間に事業用車のサヤ420を挟むことになり、ED73のうち8両にその電源車となったサヤ420のパンタグラフを操作出来るようにし、また151系へ補助回路を通せるよう、特別な改造が施されたのである。このサヤ420は、いずれ特急への交直流電車投入で不要となった場合を考慮し、421系電車への再改造が可能なものとして設計・製造された。
この運用は翌1965年10月改正で、交直流対応の481系電車が投入されたことにより1年で終了した。ED73への改造は外され、余剰となったサヤ420は予定通り421系に編入されている。
ED72、ED73共に22両が最終的に製造された。ED73のみならず、ED72も寝台特急の牽引に一部充当された。
然しながら16tを超える軸重は、幹線として軌道が強化されていた鹿児島本線熊本以北、更には長崎本線以外での運用を阻むこととなり、1965年から九州各線の運用に対応したED76が製造開始されると、運用範囲が限定されておりまた保守が難しい水銀整流器を採用したこれらの機は次第に持て余されるようになった。1976年にED72の試作機が、1978年には量産機の廃車が開始され、ED73についても1980年に北陸本線からEF70形が転属したことにより廃車が開始された。
最終的にはED72、ED73年ともに1982年までに全車が運用を離脱し、廃車された。
ED72に関しては九州電化の端緒となった機関車であるため、1両が門司港駅隣接の九州鉄道記念館に展示されている。一方でED73は小倉工場で1両が保管されていたが、荒廃が激しく2006年に解体されたため現存しない。
掲示板
掲示板に書き込みがありません。
急上昇ワード改
最終更新:2025/01/05(日) 07:00
最終更新:2025/01/05(日) 07:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。