「保毛尾田保毛男」(ほもおだ ほもお)とは、お笑いコントに登場するキャラクターである。
1980年代末から1990年代初頭にかけて、フジテレビの人気のお笑いバラエティテレビ番組『とんねるずのみなさんのおかげです』内で放送されたコント「保毛尾田家の人々」に登場する、同コントのメインキャラクター。お笑いコンビ「とんねるず」の「石橋貴明」が扮装して演じていた。
七三分けの髪形で、顎には濃く青い髭剃り痕、頬はピンクに塗ってあるという特徴的な外見の男性。上品だが奇妙な節のついた喋り方をして、流し目の視線、小指を立ててお茶を飲む、という特徴的な仕種をしていた。よく言えば「面白い」、悪く言えば「気持ち悪くて面白い」外見と言動をしていたと言える。
連作なので毎回内容は異なるが、例えば家族から「あなたが同性愛者だという噂がある」と問われた際に「あくまでも噂ですよ」と言ってごまかし笑いをするが、実際のところはどうも男性に性的興味がある同性愛者であるようだ……などといった展開が描かれていたという。つまり苗字の「ほもおだ」も名前の「ほもお」も、男性同性愛者を指す言葉「ホモ」に由来するネーミングであると思われる。
「保毛尾田家の人々」は1989年11月2日が初回で、最終回は1990年3月29日だった。だが人気のあるキャラクターだったため、保毛尾田保毛男が侍になっている設定の「保毛太郎侍」などのスピンオフ企画も放映されていたようだ。
『とんねるずのみなさんのおかげです』は当時非常に人気があったテレビ番組であり、特にバラエティ番組を好む子供や若者の間では非常に有名となったとのこと。当時のその年代に、「ホモと言えばこんな感じ」というイメージがある程度定着したという。同時に、「気持ち悪い」「笑いの対象」というイメージを植え付けたという意見もある。
それが、男性同性愛者の存在そのものが笑いの対象、さらには露骨に「気持ち悪い」対象に、変化していったのは1990年前後だと思う。
それ以前はそれほど明確ではなかった。
そもそも可視化されていたのは、もっぱら女装のゲイ、もしくはニューハーフ的な人だけで、男性的なゲイは(例外的な人を除き)ほとんど可視化されていなかった。
その転機は、フジテレビ系列の「とんねるずのみなさんのおかげです」(1988年レギュラー化)で石橋貴明が扮した「保毛尾田保毛男(ほもおだほもお)」だったと思う。
あの悪意のあるステレオタイプ化は、ほんとうに強烈だった。
現在50歳以上の当事者性のある方は、その衝撃を覚えていると思う。
あれで「きもい」「笑いの対象」としての「ホモ」の視覚的イメージが固まったように思う。
メディアにおける性的少数者への差別は、昔ほどひどいと思っている人がいるが、必ずしもそうではない。
ある時期に、メディアが差別の構造を作り出しているケースもけっこうある。
「保毛尾田保毛男(ほもおだほもお)」などはその典型。[1]
上記のように「子供や若者の世代ではほとんどが知っている有名なキャラクター」となったことで、同性愛者らにとっても大きな影響を与えたという。以下はその当事者らによる「当時どう思っていたか」に関する記述の紹介。
「よく覚えているのは、テレビでやっていたお笑い番組で、とんねるずの石橋貴明が演じる『保毛尾田保毛男』の役でした。(略)男を好きになる男というものは、こうやってみんなに気持ち悪がられて笑われるものなんだな、と強烈に印象づけられたね」(『カミングアウトレターズ』村上剛志さんから母へ)[2]
以下の意見は、後述する2017年の炎上事件が起きた後に記述されたものである。
同性愛者を面白おかしくデフォルメして石橋貴明が演じたのが保毛尾田保毛男だった。
あたしは子供の頃からオネエっぽさが出てる子供だった。リカちゃんもシルバニアファミリーも好きだったし、それを自覚しているかというとまだ子供だったのでよくわかってなかった。自分では普通に話しているつもりなのに「おかま」「おとこおんな」と周りの子供から呼ばれて、「自分は周りとは違うんだな」ってなんとなく感じて悲しく思うことが多々あった。
そんな時にふと新しいあだ名で呼ばれるようになった。それが「保毛尾田保毛男」だった。田んぼとファミレスしかないような田舎ではテレビの存在が絶対的で、小学校に上がるか上がらないかくらいの子供にも保毛尾田保毛男の存在は浸透していたのだ。
未だに同級生には「どうしてそうなっちゃったの?」って驚かれるくらい、あたしは小学生時代はわりと気が弱くて温厚だったので暴力的に降りかかってくるそのあだ名に対して成す術が何もなかった。子供ってなんて残酷な生き物なんだろうか。保毛尾田保毛男、あたしは周りからこういう存在のように映ってるんだって絶望しかできなかった。そこには不安と恐怖があった。このまま、保毛尾田保毛男のように周りから笑われつづけたらどうしよう。大好きだった「とんねるずのみなさんのおかげです」の中で「保毛尾田保毛男」だけが憎かった。
何もわかってない子供だったけど、保毛尾田保毛男の存在はゲイ差別を促していたと今だからこそ言える。女っぽい男を笑うことを全力で肯定してる。うちの弟は3歳違いなのでわりと一緒にいたんだけど、そんな風に呼ばれる自分を見て、どう思ってたんだろう。うちの親も多分その事には気づいていたと思うけど、どう思ってたんだろう。親にはカミングアウトしているけど、あの頃のことは未だに聞く勇気はない。
中には「騒ぎ過ぎ」という声もある。
そう声をあげる人に一つ聞きたい。
もし自分が保毛尾田保毛男というあだ名で呼ばれたら、
もし自分の子供が保毛尾田保毛男というあだ名で呼ばれたら、
どんな気持ちで毎日を過ごさないといけないかそんなことを少しだけ想像してもらいたい。[3]
確かに、青ひげで、おちょぼ口で、小指が立っていて……というステレオタイプな「オカマキャラ」ではあります。でも彼は、岸田今日子さん扮する「お姉ちゃん」に可愛がられ、豪邸で幸せそうに暮らしていた。そうした描写から、何かを差別したり、卑下したりする意図は感じられませんでした。私にとっては、むしろアイドル的な存在でしたね。
もちろん、番組の影響でからかわれ、嫌な思いをしてきた人々がいるのも事実です。そうかといって、当事者全員があのキャラクターに悪いイメージを持っているわけではありません。[4]
まずは今回の保毛尾田保毛男の件について。「今の時代ではPC(ポリティカル・コレクトネス)的に無しだな」と一応は思ってはいるが、当時から自分の中で保毛尾田保毛男の存在は不快なものではなく、むしろどちらかというとうれしいものだった。なぜだろう。
おそらくその理由には、自分が生まれ育ったのが、一見周りにホモが誰もいないような印象の田舎だったことがある。笑い者にされても、「男が好きな男が存在する」という事実が世界に高らかに知らされていることがうれしかったのだ。
ストレートの芸人がホモをカリカチュアしたキャラクターを演じて笑いを取る。確かにこれは失礼な話だ。しかし、私はそれもたいして気にならなかった。なぜだろう。
それは、自分がホモの中でもフケデブ専というマニアックなジャンルを好むことが主な理由だ。実はホモの間ではわりとメジャーな趣味なのだが、それでもマイノリティの中のマイノリティということで、ホモ内で嘲笑われることも少なくなかった。「ゲイをネタに笑いを取るなんて」という批判が、ホモの中でもさらに笑われ者にされていた人間からすると、どうでもよかったのである。[5]
2017年9月28日に放送されたスペシャル番組、「とんねるずのみなさんのおかげでした30周年記念SP」にて、石橋貴明が20数年ぶりに同キャラクターに扮して出演した。
その出演シーンの様子については以下のようなものだったという(「保」は石橋貴明が扮した「保毛尾田保毛男」、「ノ」は木梨憲武が扮した「ノリ子」、「鬼」はビートたけしが扮した「鬼瓦権造」)。
保:おはようございます
ノ:銀座来たじゃないのよ~
(キャラ名テロップ)
保:この格好で28年ぶりに
鬼:お前らね、違う国行ったら死刑だぞ。この格好で家族養ってるやついないぞ
(スタッフの笑い)
ノ:30年くらい前のキャラクターです
(回想映像:1989年放送 保毛尾田保毛男
ナレーション:ご存じ、皆さんの伝説のキャラクター、保毛尾田保毛男とノリ子がおよそ20数年ぶりに復活。周年のお祝いだもんで、この格好でお送りします)
鬼:よくいるよ。小学校のとき、こういう親父が公園で待ってたんだよ。みんなで石投げて逃げたことある
ノ:あんたホモでしょ
保:ホモでなくて、あくまでも噂なの
(スタッフの笑い)[6]
この登場について、差別的だと感じた人の批判的意見が噴出し、炎上した。しかし逆に、それに対して擁護的な意見や「批判を批判する」意見を投じる人々もおり、一部では論争も生じていたという。
抗議の声が殺到した事を受けて、早くも放映翌日にはフジテレビの社長が会見で謝罪した。番組公式サイトにも、以下のような謝罪文が掲載された。
平成29年9月28日(木)に放送した「とんねるずのみなさんのおかげでした30周年記念SP」において、出演者が「保毛尾田保毛男(ほもおだほもお)」というキャラクターに扮して出演致しました。しかしながら番組の放送に伴い、このキャラクターに関して沢山の抗議を頂戴しました。
番組は、LGBT等性的少数者の方々を揶揄する意図を持って制作はしておりませんでしたが、「ホモ」という言葉は男性同性愛者に対する蔑称であるとのご指摘を頂きました。そのような単語を安易に使用し、男性同性愛者を嘲笑すると誤解されかねない表現をしたことで、性的少数者の方々をはじめ沢山の視聴者の皆様がご不快になったことに関して、深くお詫び致します。またこのキャラクターが長年に渡り与えていた印象、子供たちへの影響、およびLGBT等をとりまく制度改正や社会状況について私共の認識が極めて不十分であったことを深く反省しております。
今回頂戴した様々なお叱りやご意見を真摯に受け止め、多様性(ダイバーシティ)のある社会の実現のために正しい知識を身に着け、より良い番組作りを進めて参りたいと考えております。以上[7]
なお、石橋貴明は女性と結婚しており、ホモセクシャルやバイセクシャルであるといった話もない。仮に石橋貴明がヘテロセクシャルであるならば「ヘテロセクシャルがホモセクシャルを演じていたコント」ということになる。
もちろん性的指向という非常に個人的な事柄を公にする必要は通常ないので、石橋貴明が「実はホモセクシャルやバイセクシャル」である可能性はゼロではない。だが、少なくともそれを明らかにはしていないため、世間的にはヘテロセクシャルとして扱われていた。このことがこの炎上時に「差別的だ」と見なされる要因の一つとなっていたようである。
例えば容姿など、「笑われる」つまりある意味「差別的に扱われる」と言ってもいい属性は無数にある。だが、その「属性を持っている人間」本人がそれをネタにするのは「自虐ネタ」として許容されやすいが、「その属性を持っていない人間」がそれをネタにすることは差別的と見なされやすくなるようである。19世紀のアメリカ合衆国で流行した「ミンストレル・ショー」という「白人が顔を黒く塗って、黒人らの滑稽な様子を演じるユーモア演芸」が、現代においては「差別的」と見なされる理由の一つでもある。
例えば「髪の毛が薄い人が「ハゲ」をネタにする」「イケメンや美女と評されるような外見ではない人が「ブサイク」「ブス」とネタにする」のは割と許容されやすい傾向にある。だが「実際には髪が薄くない人が髪が薄いカツラを被って「ハゲってこうだよね」とネタにする」「イケメンや美女が顔を歪めるなどして普段の美しい顔を変化させて「ブサイクやブスってこうだよね」とネタにする」ようなことは許容しづらいと感じる人もいるようだ。
上記のように、このキャラクターが差別的であるか否か、問題視すべきものだったかについては個々人によって意見が分かれることがある。このページを読んでいるあなたはどうだったろうか。
また、人間は自分自身の事でなければ今一つ実感がわかないものである。もしあなたがホモセクシャルでない場合、あまりリアルな事として考えられないかもしれない。
では、あなた自身の属性に置き換えてみるとどうなるだろうか。このページを読んでいる人には、「日本人」が多いのではないかと予想されるため(日本人ではない読者の方には申し訳ないが)「日本人」という属性に置き換えて考えてみると。
「とある外国の大人気コメディ番組にて、日本人ではないその国の人気お笑い芸人が「気持ち悪いが滑稽で面白い、日本人の特徴を戯画的に強調したキャラクター」の扮装をして、日本語訛りの入った下手くそなその国の言葉をしゃべる「ジャップ・ジャップマン」という日本人キャラクターを演じるようになり、面白いと子供や若者の間で人気となった。そのため、日本人、特に子供たちは「よう、ジャップ・ジャップマン!」と呼びかけられるようになったりと、このネタでいじられるようになった」
という感じになるだろうか。
あなたはこの「ジャップ・ジャップマン」の事例がもし本当にあったとしたら、「日本人に対して差別的だ」「問題視すべきだ」だと感じるだろうか? それは「保毛尾田保毛男」に対して感じたものと同じだっただろうか?

より。「」内の文章は同書籍からの引用



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