シニョリネッタ(Signorinetta)とは、1905年生まれ
イギリス生産・調教の競走馬・繁殖牝馬である。
1880年代にイタリアから移住してきたキャヴァリエル・エドアルド・ジニストレーリは小規模ながら厩舎を持ち生産・調教を行っていた。そして1887年には2歳時にミドルパークSを含むデビュー以来9連勝を達成した名牝Signorina(シニョリーナ)を生産した。そのシニョリーナは非常に小出しが悪く10シーズンを経てにしてようやく初仔の牡馬シニョリーノを生産し、そのシニョリーノは2000ギニーステークス2着、ダービーステークス3着と好走した。
ジニストレーリ師の牧場にはChaleureux(シャルルー)という牡馬の使役馬が繋養されていたが、シャルルーがシニョリーノに近づくとお互いにいななき合い、グルーミング(毛づくろい)をしあうなどの行為を取っていた。
ジニストレーリ師はこの二頭が愛し合っていると把握し、交配させることを決意した。
こうして競走馬生産において稀に見る愛し合う2頭が結ばれたのであった。
……いやまだ終わりではないです。この記事はその子のシニョリネッタの話なのだから。
そうして無事に生産された牝馬はシニョリネッタと名付けられたが見栄えはパッとしなく、実際にデビューから6着、7着、5着、6着、5着と凡走を繰り返した、初勝利を挙げたのは11月の6戦目のナーサリーハンデキャップであった。
それでもジニストレーリ師は年が明けてからもシニョリネッタを意欲的に大レースに出走させた。1000ギニーステークスでは19頭立て18着と凡走し、2週間後のニューマーケットSでは5位となった。
シニョリネッタはダービーステークスに出走したが、オッズは100-1(101倍)のダントツの最低人気であった。暑い気候の元で行われた英国の王族が見守るレースがスタートするとシニョリネッタは中盤につけ、途中からスパートすると2馬身を付けたトップでゴールを駆け抜けることとなった。シニョリネッタはダービーを制する牝馬としては4頭目となった。のちにシニョリネッタの勝利はスポーツ最大の10の衝撃の1つに数えられた。
2日後のオークスステークスにも出走し、ストレートの前まで2番手に位置しながら直線で抜け出し3頭目のダービー・オークス両制覇の牝馬となった。ダービーのときの沈黙とは対照的にオークスでの勝利は王に讃えられながら熱狂的に迎えられた。
その後は3つのレースに出走したが、ロイヤルS4着、セントレジャー7着、ジョッキークラブS6着と勝利を挙げることができず引退した。
通算13戦3勝。
1911年にはジニストレーリ師は貧困に窮し、ローズベリー卿に売却された。現在では子孫はアメリカなどで生き残っている。
| Chaleureux 1894 鹿毛 |
Goodfellow 1887 黒鹿毛 |
Barcaldine | Solon |
| Ballyroe | |||
| Ravissante | Clanronald | ||
| Makeshift | |||
| L'Ete 1880 栗毛 |
John Davis | Voltigeur | |
| Jamaica | |||
| Fandango Mare | Fandango | ||
| Sleight of Hand Mare | |||
| Signorina 1887 黒鹿毛 FNo.23-a |
St. Simon 1881 鹿毛 |
Galopin | Vedette |
| Flying Duchess | |||
| St. Angela | King Tom | ||
| Adeline | |||
| Star of Portici 1871 鹿毛 |
Heir at Law | Newminister | |
| The Heiress | |||
| Verbena | De Ruyter | ||
| Singleton Lass |
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最終更新:2025/12/26(金) 22:00
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