デイモン・ヒル(Damon Graham Devereux Hill, 1960-9-17- )とは、イギリス人の元F1ドライバー。
1996年のF1ワールドチャンピオンであり、現在唯一の親子でのワールドチャンピオン獲得者である。
初代モナコマイスターであり、世界3大レースを制覇した唯一のドライバーであるグラハム・ヒルを父に持ち、父と同様に苦難の日々を乗り越えてF1の世界に登場する。
レースキャリアのスタートは2輪であったが、父グラハムの死を境に4輪へ転向した。
1992年にウィリアムズのテストドライバーを勤めながらブラバムからデビューを果たすが、チームの台所事情は最悪でスタッフへの給与もロクに払えないような有様だった。もちろんそんな状態では走る事すらままならず、予選落ちも多かった。結局チームはシーズン途中で撤退を余儀なくされる。
しかしこの年、ナイジェル・マンセルが圧倒的な強さでタイトルを獲った名車、ウイリアムズ・ルノーFW14Bの開発に大きく貢献したことで、その功績が認められ1993年にレギュラードライバーに抜擢される。
1994年、アイルトン・セナの事故死以降ウィリアムズのエースドライバーに昇格するも、後の皇帝ミハエル・シューマッハに勝てない日々が続くも1996年に悲願のタイトルを獲得した。
F1ファンの間ではあまりにも評価の低い彼だが、車に優しい走り、マシンの開発力などF1ドライバーとしての才能は十二分にあった。
実際、1997年シーズン開幕時は予選落ち寸前だったアロウズのマシンで、ハンガリーGPではレース序盤からファイナルラップまでトップを独走する大活躍を見せた。
1996年にチャンピオンを獲りながら解雇された当時ウィリアムズのチーフデザイナーであった空力の奇才エイドリアン・ニューウェイ(現:レッドブル・ルノー)はデイモンの解雇に激怒し翌年チームを離脱しマクラーレンに移籍する。そこからウイリアムズの低迷の一途を辿っていくことになる。後にウィリアムズのボス、フランク・ウイリアムズも「デイモン解雇は間違っていた。」と発言する程である。
当時、ミハエル・シューマッハ、ジャック・ヴィルヌーヴ、ミカ・ハッキネン等、天才肌系ドライバーが多かった為に地味なイメージで見られがちだったが、ロックをこよなく愛しユーモラスな一面も持ち合わせる粋なドライバーでもあった。
2012年にセバスチャン・ベッテルに更新されるまでルノーエンジン最多勝ドライバーでもある。
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最終更新:2024/05/04(土) 22:00
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