リンカーン(競走馬) 単語


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リンカーン

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リンカーン(Lincoln)とは、2000年生まれの日本の競走馬。鹿毛の牡馬。

GIで力走したときに限って相手がやべー奴ばかりだった、横山典弘曰く「時代が悪かった」馬。

主な勝ち鞍
2004年:阪神大賞典(GII)
2005年:京都大賞典(GII)
2006年:日経賞(GII)

概要

父*サンデーサイレンス、母グレースアドマイヤ、母父*トニービンという血統。
父は説明不要、日本競馬そのものを変えてしまったレジェンド種牡馬。
母は半兄に「和製ラムタラ」こと1996年のダービー馬フサイチコンコルド、半弟に2009年の皐月賞馬アンライバルドを持つ良血馬。自身は15戦5勝、1998年府中牝馬S2着などの実績がある。
母父はサンデーサイレンスや*ブライアンズタイムと鎬を削った90年代の大種牡馬。

半弟には2007年の皐月賞馬ヴィクトリーがおり、半妹ブルーダイアモンドの仔にアリストテレスがいるなど、彼の後にも多彩な活躍馬を出しているファミリーに生まれた良血である。

2000年3月18日、ノーザンファームで誕生。オーナーは後にカンパニーや弟のヴィクトリーを所有する近藤英子(「アドマイヤ」冠でおなじみ近藤利一の前妻)。

馬名の由来は言うまでもなく、アメリカ合衆国第16代大統領エイブラハム・リンカーンである。

※なお、この馬名は3代目。他に1961年生まれの牡馬(アラブ)と1963年生まれの牝馬の存在が確認できる。

出来ると決断せよ

2歳~3歳

栗東・森秀行厩舎に入厩し、2002年10月13日、京都・芝1800mの新馬戦でデビュー。しかし続く未勝利戦と2戦続けて2着に敗れ、理由は不明だがすぐに音無秀孝厩舎に転厩、以後引退まで音無厩舎に所属した。転厩初戦の12月の未勝利戦を快勝して勝ち上がる。

明けて3歳となり、若駒S(OP)すみれS(OP)を快勝。皐月賞は回避して、青葉賞から日本ダービーを目指す予定だったが、喉頭蓋エントラップメント(喘鳴症の一種)を発症。手術を経て、ぶっつけで日本ダービー(GI)に挑むことになった。ここまでは主に武豊が騎乗していたが、ダービーでは武はサイレントディールに回ったため、新馬戦で騎乗した柴田善臣が騎乗。レースは最後方から追い込んだものの、見せ場なく8着。

秋は横山典弘を鞍上に迎えて神戸新聞杯(GII)から始動、先行するザッツザプレンティを見ながら好位で進めたがゼンノロブロイに突き放されて4着。
引き続き横山騎手と向かった菊花賞(GI)では、中団からザッツザプレンティと並んでゼンノロブロイをマークして進める。3コーナー前からザッツザプレンティら有力勢が早めに上がっていったのに対し、リンカーンはついて行かず下げる展開。溜めた足を直線で爆発させ外から猛然と追い込み、二冠馬ネオユニヴァースをかわしたが、早仕掛けから押し切ったザッツザプレンティに届かず惜しくも2着
余談だが横山典弘はこれを皮切りに、2004年(ホオキパウェーブ)、2005年(アドマイヤジャパン)、2006年(ドリームパスポート)と菊花賞4年連続2着という珍記録を作ることになる。

有馬記念(GI)では武豊が鞍上に戻り、4番手の好位で進め、3コーナーから早くも前を捕らえて、4コーナーで早くも先頭に躍り出る。あとは中山の短い直線を押し切るのみ――というところで、後ろから馬なりのままで追ってくる馬が1頭。引退レースのシンボリクリスエス! 直線入口でボリクリ鞍上のオリビエ・ペリエが追い出すとあっという間に置いて行かれ、あとは突き放される一方。リンカーンは後続を抑えきって2着に突っ込んだが、ボリクリは9馬身も先にいた。ちょっと相手が悪すぎたと言うしかない。

……そしてこの後も、「相手が悪すぎた」という言葉は彼について回ることになる。

4歳

明けて4歳は天皇賞(春)を目指して阪神大賞典(GII)から始動。4番手から進めると3コーナーから楽な手応えで進出し、直線で武豊が追い出すとザッツザプレンティらをあっさりとかわして抜け出し快勝。単勝1.4倍の断然の支持に応え、重賞初制覇を飾る。

この強い勝ち方に、鞍上も平成の盾男・武豊とあって、本番の天皇賞(春)(GI)では2.2倍の1番人気に支持される。ネオユニヴァース、ゼンノロブロイ、ザッツザプレンティと「4歳4強」を形成し、4強対決に注目が集まった。……が、結果は4強が牽制しあっているうちに、1歳上の10番人気イングランディーレの大逃げが取り返しのつかない差まで開いてしまいジ・エンド。リンカーンは見せ場すらなく13着に撃沈する。

気を取り直して向かった宝塚記念(GI)では、中間発表までファン投票1位だった同期二冠馬ネオユニヴァースが屈腱炎で回避したため、最後にネオユニを抜いてなんとファン投票1位に輝く。レースは中団後方から捲っていったが、先行したタップダンスシチーに突き放され、シルクフェイマスも捕らえきれず3着

秋は天皇賞(秋)(GI)に直行。鞍上には安藤勝己がテン乗りとなったが、何の見せ場もなく12着惨敗。秋は結局この1戦のみで終了する。

5歳

明けて5歳となってもリンカーンの苦悩は続く。新たに福永祐一を鞍上に迎え、連覇を目指し阪神大賞典で復帰するも、マイソールサウンドとアイポッパーとの3頭での追い比べに競り負けて3着
本命不在の天皇賞(春)では5.4倍の1番人気に支持されたが、後方からのレースになってしまい、直線を向いたときには最後方。追い込むものの見せ場なく6着。

続いて向かった宝塚記念では中団から進めて4コーナーから早めに押し上げ、直線で力尽きたタップダンスシチーを捕まえて先頭に躍り出る。7度目のGI、今度こそ!――と思ったところで外からそれをちぎり捨てていくのが牝馬スイープトウショウ。リンカーンは後ろから来たハーツクライとゼンノロブロイにもかわされて4着。

秋は武豊が戻って京都大賞典(GII)から始動。さすがにここは負けるわけにはいかないメンバー構成、1.7倍の支持に応えてコイントスを半馬身差しきり1年半ぶりの勝利を挙げる。
しかし天皇賞(秋)は1000m62秒4の超スローペースを後方待機してしまってはどうにもならず、15着撃沈。
ジャパンカップ(GI)では中団待機でレースを進めるも、後方待機勢よりも直線でエンジンのかかりが遅れ、ゼンノロブロイを追いかけたもののアルカセットに突き放され、ハーツクライにもかわされ4着。

そして迎えた有馬記念。無敗の三冠馬ディープインパクト目当ての大観衆が詰めかける中、久々に横山典弘が騎乗したリンカーンは、中団待機から早めに押し上げていく得意のパターンに持ち込む。前を行くタップダンスシチーとコスモバルクを捕らえるが、そのときには既にハーツクライに先に抜け出され、さらに外からディープインパクト! 必死に食い下がったものの、ハーツクライの大金星とディープのまさかの敗戦の後ろで地味に3着

6歳

明けて6歳は、ディープインパクトが阪神大賞典に向かったためか日経賞(GII)から始動。中団から直線で一気に前を差し切り、1.8倍の支持に応えて快勝、重賞3勝目を挙げる。GII大将という評価を不動のものとしつつ、天皇賞(春)へ向かった。

迎えた3度目の天皇賞(春)。2番人気に支持されたリンカーンだが、オッズは14.4倍。阪神大賞典を当たり前のように楽勝していたディープインパクトが単勝1.1倍。誰もがディープの勝利を疑わないレースで、リンカーンは2003年クラシック世代の意地を見せるべく渾身の走りを見せた。
中団前目の好位につけたリンカーンは、4コーナーで前を捕まえ直線入口で抜け出し、あとは後続を突き放す。マヤノトップガンのレコードを0秒4更新する3:14.0のタイムで、後ろを5馬身突き放してゴール板を駆け抜けた。

ついにリンカーンがGIを勝った。GII大将とは言わせない。
誰にも文句は言わせないレコードタイム、5馬身差の圧勝、完勝、大楽勝だった。

……そのさらに3馬身半前に、馬の形をしたなんか別の生き物が走ってさえいなければ。

横山典弘はゴールした直後にディープに寄せていって武豊に「なんだその馬は」と言い、武豊から「すいません」と返されたそうである。レース後の「リンカーンはツイてない。生まれた時代が悪かった」という嘆き節も、少なくともこのレースに限ってはむべなるかな。レコードタイムで後ろに5馬身差をつけて負けたら、それはもう相手が悪すぎたと言うしかないのであった。

結局このレースで彼は燃え尽きたのか、続く宝塚記念で9着に沈んだあと、夏の休養後にトレセンに帰厩したところで右前浅屈腱炎を発症、現役引退となった。

通算23戦6勝、獲得賞金は5億8842万円。実際のところ「生まれた時代が悪かった」馬というには不安定な成績だったのは否めないが、2003年の有馬記念、2006年の天皇賞(春)と普通なら勝つはずのレースをしたときに限って、相手にとんでもないバケモノがいたという意味では確かに持ってない馬であった。
ちなみに宝塚記念でファン投票1位となった馬でGI未勝利なのは、彼とスダホークだけである。

引退後

かくしてGIを勝てなかったリンカーンだが、良血を買われ、なんとディープインパクトと一緒に社台SSで種牡馬入りを果たす。100万円という社台SSでは安価な種付け料もあって、初年度は188頭とディープに次ぐ人気を集めた。
産駒は2010年からデビューしたが、結果はパッとせず地方重賞馬を何頭か出すに留まり、2011年からは種付け数も激減してしまう。

そして2012年4月に鼻出血を発症、喉嚢炎と診断され、6月に死亡した。12歳没。

ちなみに彼の産駒で最も賞金を稼いだのは、かの小田切有一の所有馬で、この馬名なのに逃げ馬になってしまい「オマワリサン逃げる!」の実況を生んだ珍名馬オマワリサンである。

血統表

*サンデーサイレンス
1986 青鹿毛
Halo
1969 黒鹿毛
Hail to Reason Turn-to
Nothirdchance
Cosmah Cosmic Bomb
Almahmoud
Wishing Well
1975 鹿毛
Understanding Promised Land
Pretty Ways
Mountain Flower Montparnasse
Edelweiss
グレースアドマイヤ
1994 鹿毛
FNo.1-l
*トニービン
1983 鹿毛
*カンパラ Kalamoun
State Pension
Severn Bridge Hornbeam
Priddy Fair
*バレークイーン
1988 鹿毛
Sadler's Wells Northern Dancer
Fairy Bridge
Sun Princess *イングリッシュプリンス
Sunny Valley

クロス:5代内アウトブリード

関連動画

関連リンク

関連項目

  • 競馬
  • 競走馬の一覧
  • 2003年クラシック世代
    • ネオユニヴァース
    • ゼンノロブロイ
    • ザッツザプレンティ
    • サクラプレジデント
  • サンデーサイレンス系
  • ヴィクトリー(競走馬)
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