メイショウバトラー 単語

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メイショウバトラー

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メイショウバトラーMeisho Battler)とは、2000年生まれの日本の元競走馬である。鹿毛

屈腱炎を乗り越えてダート戦線を10歳まで走り続け、重賞勝利最高齢記録を持つ不屈の名
名の意味は「冠名戦士、闘士」。執事(Butler)ではない女の子に「戦士」もどうかと……。

な勝ち
2004年小倉大賞典GⅢ
2006年プロキオンSGⅢサマーチャンピオンGⅢシリウスSGⅢ
2007年かきつばた記念Jpnさきたま杯JpnスパーキングレディーCJpnクラスターCJpn
2008年マリーンCJpn
2009年マリーンCJpn

概要

メイショウホムラメイショウハゴロモ、ダイナガリバーという血統。
は93年にフェブラリーハンデキャップ(現フェブラリーステークス。当時はGⅢ)を勝ったが、重賞勝利はその1勝のみ。当時はまだ地方交流がなくダート重賞も年に2,3回あるのみとダートが不遇の時代であり、種牡馬としても人気は集まらず、産駒重賞はメイショウバトラーのみである。
は3勝で、初勝利まで21戦を要した遅咲き。ビユーチフルドリーマーに通じる古い牝系ではあるがファミリーの本流からは外れており、この頃には全に時代から置き去りにされた状態だった。
社台グループ初のダービーである。
オーナーは「メイショウ冠名松本好雄。東の高橋成忠厩舎に所属した。

デビューオークスも終わった3歳6月。2戦で初勝利を挙げ、9月までに5戦3勝2着2回と勝ちを積み、条件ながら上がりとして秋華賞に挑むが7着。その後もエリザベス女王杯12着、自己条件戦4着、阪神牝馬S10着と結果を出せず3歳を終える。

4歳初戦、準OP関門橋Sを逃げ切って正式にOP昇格。続くGⅢ小倉大賞典スロー逃げが決まり5身差の大楽勝で重賞タイトルを手にする。しかしこの後は逃げれども勝ちきれず、重賞を8戦して2着4回3着1回と惜しい戦いが続いた。

試練が訪れたのは明けて5歳シーズン小倉大賞典の予定を脚部不安でパスし、そのまま長期休養に入ってしまう。実はこの時メイショウバトラーは右前脚に屈腱炎を患っていたのである。競走馬不治の病とされ、数多の名がこの病のためにターフを去らざるを得なくなった。の使命はまず事に牧場に帰って繁殖入りすることであり、5歳で既に重賞を勝っているならもう充分と判断され引退でもおかしくない。というか引退するのが普通である。

しかし1年以上の治療を経て、6歳4月に鮮に復帰。脚元も考慮してか復帰戦には初勝利を挙げた未勝利戦以来のダート戦が選ばれ、その後も引退まで一貫してダート戦を走り続けることとなった。初戦のOP特別は12着に大敗したが、GⅢプロキオンSで7番人気を覆し2身半差の快勝。2年5ヶぶりの勝利を手にすると、交流GⅢサマーチャンピオンGⅢシリウスSと破の3連勝。交流GⅠJBCマイル[1]め先頭からブルーコンコルドの2着にる。その後はJCダート兵庫ゴールドトロフィー馬券圏外に敗れ6歳を終了。

7歳シーズンも現役を続行。フェブラリーS黒船賞と連敗するが交流GⅢかきつばた記念勝利からさきたま杯スパーキングレディーカップクラスターカップと交流GⅢで怒濤の4連勝。ことにスパーキングレディーカップは2着に6身差をつける圧巻の勝利を見せつけた。しかし東京盃2着、JBCスプリント8着。交流GⅢも2着3着とまたしても調子を落としてしまう。

8歳になっても不調は続き、根岸SフェブラリーSと惨敗。暖かくなった4月マリーンカップ勝利したが、その後はかきつばた記念からクラスターカップまで前年と同じローテーションで出走したが4連敗。マイルCS南部杯め先頭からまたしてもブルーコンコルドにちぎられ2着。この頃になると交流重賞でも苦戦することが増え、年をまたいで馬券に絡めないレースが続く。

それでも9歳6月マリーンカップではめ先頭から執念の走りで2身半差をつけ勝利としては史上最高齢での重賞勝利を果たした。障害競走では翌年にコウエイトライが9歳の10月重賞を勝ったが、地競走では現在もこれが最高齢記録である。
かしこれが最後の勝利となり、以後10歳となった2010年までに重賞で3着が4回あったが勝利には届かず。この年の年末、兵庫ゴールドトロフィー5着が最後の競走となり、翌2011年2月に競走登録を抹消引退。足掛け7年8ヶの長い現役生活ピリオドを打った。

生涯61戦14勝。交流重賞7勝を含む重賞10勝を挙げた。屈腱炎を乗り越えての頑健な走りは多くのファンを集め、尊敬を込めて「バトラーさん」と称された。
重賞10勝は女王ホクトベガの13勝に次ぐ記録。最終的に6億円以上の賞を稼ぎ、松本オーナーの所有馬ではメイショウサムソンメイショウドトウに次いで3位である。
またGⅠ勝利で6億円以上稼いだ彼女の他にはキョウトシチーナイスネイチャバランスオブゲームダイワテキサスぐらいである。

繁殖牝馬としては4頭の産駒デビューしたが立つ実績は現れず、2017年出産が原因となり17歳死亡した。現役生活とは対照的な短い繁殖生活になってしまったが、2頭の駒が繁殖登録されファミリーの血を繋いでいる。

血統表

メイショウホムラ
1988 鹿毛
*ブレイヴストローマン
(Bravest Roman)
1972 鹿毛
Never Bend
1960 鹿毛
Nasrullah
1940 鹿毛
Lalun
1952 鹿毛
Roman Song
1955 鹿毛
Roman
1937 鹿毛
Quiz Song
1948 栗毛
メイショウスキー
1981 鹿毛
マルゼンスキー
1974 鹿毛
Nijinsky
1967 鹿毛
*シル
1970 鹿毛
*フェアリーテイル
(Fairy Tale)
1961 鹿毛
Sicambre
1948 黒鹿毛
Fee Royale
1947 黒鹿毛
メイショウハゴロモ
1993 鹿毛
Fno.12
ダイナガリバー
1983 鹿毛
*ノーザンテースト
(Northern Taste)
1971 栗毛
Northern Dancer
1961 鹿毛
Lady Victoria
1962 黒鹿毛
アースポート
1972 鹿毛
*バウティア
1958 鹿毛
ファインサラ
1966 鹿毛
メイショウエンゼル
1984 黒鹿毛
*テュデナム
(Tudenham)
1970 黒鹿毛
Tudor Melody
1956 黒鹿毛
Heath Rose
1964 鹿毛
グリホースメン
1970 鹿毛
*パーシア
1956 鹿毛
ハイポン
1964 栗毛

クロスNorthern Dancer 5 x 4(9.38%)

関連動画

最後の勝利

関連コミュニティ・チャンネル

関連リンク

関連項目

脚注

  1. *通常はJBCスプリントとして開催されるが、この年開催された川崎競馬場では短距離コースフルゲートが12頭と少なかったため1600mのJBCマイルとして施行された
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