三浦皇成(みうら こうせい)とは、JRA所属の騎手である。
妻はタレントのほしのあき。
2008年に美浦・河野通文厩舎所属として騎手デビュー。同年に中央デビューした騎手として内田博幸がいる。
同年8月10日には函館2歳ステークスで重賞初騎乗初勝利。その後も破竹の勢いで勝利を重ね、10月にはスプリンターズステークスでG1初騎乗、新人騎手年間最多騎乗回数、新人年間最多勝記録など数々の記録を打ち立てた。
結果としてデビュー年の成績は709戦91勝。最多勝新人騎手のJRA賞は当然のこと、新人騎手の勝利数として未だ破られていない記録でもある。
2009年、通算100勝や海外初騎乗初勝利を経験する中、フリーに転向。
2010年1月11日、中山4Rに騎乗した際、三浦の騎乗するノボプロジェクトが斜行。その影響で9頭が落馬するという中央競馬では最多の落馬事故を起こし、4日間の騎乗停止処分を受ける。
2011年、タレントのほしのあきと結婚。翌年に長女が誕生している。
2012年、フリーから鹿戸雄一厩舎に所属。
2014年12月17日、ディアドムスで全日本2歳優駿を制覇。初のG1級勝利を果たす。
2019年にはデビュー以来のキャリアハイである102勝を達成。
2022年11月3日、ダンシングプリンスでJBCスプリントを制覇。8年ぶり2度目となるG1級勝利となった。
2023年6月24日、東京5Rをヴェロキラプトルで勝利。JRA通算1000勝を達成。
2024年6月5日、ラムジェットで東京ダービーを制覇。3度目のJpnⅠ勝利を果たす。
2025年9月28日、スプリンターズステークスをウインカーネリアンで制覇。JRA・GⅠ、127回目の挑戦で悲願の初勝利をあげた。
デビュー年の目覚ましい活躍の一方、テレビ番組内で「武豊さんの馬に乗れば僕も9回乗って9回武豊さんより先着する自信はあります」と発言したことが物議を醸した(本人は「騎手としては、全部勝つくらいの気持ちじゃないとダメ」ということを答えたつもりだったらしい)。こうした舌禍に加えて、競馬業界とは関わりのない家庭出身だったことや、度重なる落馬事故の影響もあって、新人時代に期待された程の活躍は見せられなかった。
2010年1月11日にはJRA史上最大数となる9頭の落馬事故の加害馬(の騎手)となってしまったり、自身も度重なる落馬負傷[1]を経験しながらも、継続的に騎乗。結果としてデビューから13年5ヶ月22日の2021年8月22日、史上最速かつ史上最年少(31歳8ヶ月4日)での騎乗回数10000回を達成している。デビュー以来重賞勝利が無かった年は2012年だけである。2023年6月24日には史上42人目、現役22人目となるJRA通算1000勝を達成した。
近年はダートレースに注力しており、成績もダートのほうが良い。
2024年までは「とにかくG1を勝てない人」というイメージばかりが先行し、口さがない競馬ファンから過小評価されることが多いジョッキーであったが、トータルで見れば先述の通り、優れた成績を残している騎手と言える。とはいえ、デビューから何年たってもG1を勝てない騎手というのは珍しくはないとはいえ「三浦ほど戦績の良い騎手が中央G1を勝ったことが無い」という現象は、彼がGⅠで善戦・惜敗するたびに競馬ファンの間では不思議がられる話題であった。彼が期待馬に乗ると判ると「天才外国人騎手コーセー・ミューラー緊急来日」と言われ、敗北すると「帰国」と言われるネタもお決まりであった。
ちなみに、グレード制導入以降に中央でデビューし、かつ中央での通算勝利数が1000勝を達成した時点で中央G1が未勝利だった騎手は三浦ただ一人である。
それだけに、2025年のスプリンターズSでGⅠ初制覇を成し遂げた際には、観客席からは割れんばかりの歓声と「コーセー・コール」が飛んだ。初勝利までのGⅠ騎乗回数127回という記録は2025年現在でぶっちりぎりトップである[2]。ちなみにこの際の騎乗馬であるウインカーネリアンを管理していたのは、師匠である鹿戸調教師であった。
G1級勝利馬または記事がある馬について記載
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最終更新:2025/12/06(土) 14:00
最終更新:2025/12/06(土) 14:00
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