吉田隼人(よしだ はやと)とは、JRAに所属する騎手である。
1983年12月20日生まれ。茨城県出身。兄はJRA所属騎手・吉田豊。
兄から「自分より体が柔らかいから」と勧められ、美浦の乗馬苑に通いはじめたことがきっかけで騎手を志す。しかし体重が軽すぎたために競馬学校入試に合格できず、留年することになった。
2001年、晴れて競馬学校騎手課程第20期生として入学。年下となる同期達には川田将雅・藤岡佑介・津村明秀・丹内祐次らがいる。余談だが、競馬学校では通年なら10名前後が入学して1~2名が退学・留年するところ、入学15名+留年2名の大所帯だった第20期生にはかなりのスパルタ教育が行われ、最終的に8名しか卒業出来なかった。そのため20期生間のライバル意識はかなり強いらしい。
2004年に騎手免許を取得し、美浦T.C.の堀井雅広厩舎に所属。2007年にフリー。2018年以降は栗東を中心に活動している。
04年3月6日にデビューし、4月24日に初勝利。初年度はわずか3勝に終わる。
2005年は23勝。この年は2歳馬アポロノサトリで2戦2勝の活躍を挙げるが、GⅠ騎乗可能となる30勝に届かなかったため、朝日杯FSでは乗り代わりになってしまった。翌2006年には福島牝馬ステークス(GⅢ)をロフティーエイムで制覇し重賞初制覇。年間勝利数も兄を上回る60勝を記録し、飛躍する。
2014年7月、北海道の知人宅で口論から乱闘に発展、刑事告訴され罰金刑を受けた(騎乗停止一か月)。
2015年、11月に馬に蹴られ、右膝膝蓋骨亀裂骨折の重傷を負うが、第60回有馬記念では完治前にも関わらずゴールドアクターに騎乗し、見事優勝。デビュー12年目にして中央GIを初制覇する。
2016年には川崎競馬場で行われた全日本2歳優駿をリエノテソーロで制し、地方Jpn1を初制覇。
2020年にはソダシに騎乗して阪神ジュベナイルフィリーズを制覇し、5年ぶりに中央GⅠを制覇。翌2021年にはソダシ(桜花賞)、2022年にはポタジェ(大阪杯)・ショウナンナデシコ(かしわ記念)・ソダシ(ヴィクトリアマイル)で、GⅠ級競争を3年連続制覇する。
2021年5月8日、史上39人目となるJRA通算1000勝を達成。6月20日には史上28人目となるJRA通算12000回騎乗を達成した。この年には初めて日本ダービーへの出走も果たしている(ステラヴェローチェ・3着)。
2023年6月4日、「自分の騎乗を始めとするいろいろなことへのいら立ちが抑えきれず」阪神競馬場調整ルーム居室の洗面鏡、テレビリモコン、ゴミ箱を破壊(騎乗停止2日)。
2024年4月20日、福島牝馬ステークス騎乗中に落馬して重傷を負い、緊急入院する(当初は外傷性クモ膜下出血と報道されたが、後に吉田自身が「違った」と報告)。記憶面や言語面などに後遺症が残る恐れもあったが、幸いにも同年10月からレース騎乗を再開。
※太字はニコニコ大百科に記事のある競走馬。吉田騎乗での重賞勝ち鞍のみ(一部例外アリ)記載
掲示板
46 ななしのよっしん
2024/04/26(金) 10:37:22 ID: qBx/pEb4mn
まずは無理せず回復に努めて欲しい
しかしなんか騎手全体が今までにない緊張の仕方をしてるのかな
47 ななしのよっしん
2024/09/04(水) 22:31:55 ID: +kTkYgc36c
7月時点で退院し、リハビリ中とのこと
無理せず頑張って、そして物事が良い方向に進んでいくといいなぁ
48 ななしのよっしん
2024/09/25(水) 10:22:43 ID: 0WzjHtK2Xo
調教騎乗に復帰とのこと。
復帰は絶望的かなと思ってたけど凄いな……
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最終更新:2024/11/08(金) 17:00
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