花果子念報(かかしねんぽう)とは、姫海棠はたてが発行する新聞である。
「東方求聞口授」に幾つかの記事が掲載されており、実際に読む事が出来る。
概要
数ある天狗の新聞のひとつだが、あまり人気が無い。はたてがライバル視している同業者の射命丸文に、弱小新聞と断じられた事もあった。
文の発行する文々。新聞も天狗の間では人気が低いのだが、それにも関わらず、文からの弱小扱いにはたてがまともに反論する事が出来なかった事から見ても、著しく人気が低い新聞である事がうかがえる。
花果子念報に人気が無い事には相応の理由がある。はたては自身の「念写をする程度の能力」を使い、取材に赴く事無しに事件の写真を手に入れ、これを元に記事を執筆していた。しかし彼女の念写にはキーワードになる言葉が必要であり、全く未知の出来事についての写真を撮る事は出来ない。結果的にこの新聞の記事は、何処かで聞いた事のあるような、新鮮味と速報性に欠けるものばかりになっていたのだ。
その後、文の新聞作りを調査する事で取材の大切さを悟ったはたては、念写のみに頼った新聞作りを改め、自ら実地取材に赴くようになっている。しかしその結果、人気に変動があったかどうかは現在までのところ明らかになっていない。
内容
ライバル紙である文々。新聞は、東方Projectの諸作品に度々登場しており、また「東方文花帖 ~ Bohemian Archive in Japanese Red.」では実際の記事を読む事も出来る。しかし花果子念報の実物の登場は、「ダブルスポイラー」から2年後の「東方求聞口授」を待たねばならなかった。
ようやく読む事が可能になった花果子念報だが、そのデザインはなかなか衝撃的である。既知の天狗新聞である文々。新聞はいかにも新聞然としたデザインであったが、花果子念報のデザインはweb上のニュースサイトと見紛うようなものであり、文章が縦書きだった文々。新聞に対し、こちらは横書きの文章が採用されている。
「ダブルスポイラー」でのはたてには、文と比較して執筆姿勢が真摯な傾向があったが、その傾向は実際の記事にも現れている。「求聞口授」掲載の記事から窺える花果子念報の特徴を以下に列挙した。
基本的に事件や取材対象を面白おかしく描く文々。新聞に対し、花果子念報は何やら教訓・警鐘めいた結論で記事を結ぶ事が多く、取材対象への揶揄や否定的な見解もほとんど見られない。よく言えば生真面目、悪く言えば幾分固い傾向が見られる。
天狗の新聞は基本的に仲間内で読むものであり、他種族、特に人間は読者として想定されていない。したがって文々。新聞の記事には、人間を軽視している事が感じられる記事もしばしば見られる。しかしはたては「人間が記事まで読むような新聞を作ってみせる」と語った事があり、後に博麗霊夢が花果子念報の実物を所持していた事から見て、実際に人間相手も想定した記事を書いていると思われる。その為か、妖怪特有の人間軽視の傾向が全く無い訳ではないが、人間であっても評価すべき点は認め、人間に対する天女の身勝手な振る舞いを薄情であると非難する等、比較的人間にも公正な姿勢で記事を書いていると言える。
とは言え、公正なのは記事の上での扱いだけであり、人間は妖精相手でも命が危ないと知りつつ、人間がやられても構わないという考えで妖精と人間の決闘を誘導する等、はたて自身の人間の扱いは、通常の妖怪と大差は無いようだ。
捏造を行わない?
文は光の三妖精を使って架空の妖怪騒ぎをでっち上げ、マッチポンプ形式で捏造記事を作成した事がある。はたてもチルノを霧雨魔理沙にけしかけて決闘騒ぎを起こし、自らそれを記事にしているが、嘘の事件を作った文とは異なり、はたてはチルノをけしかける段階から律儀に記事にしている。自ら事件を誘発する事はあっても、その事実を伏せて真相を偽る事は無いのかも知れない。
推測される他の記事の傾向
書籍版「文花帖」がそうであったように、「求聞口授」に掲載されている天狗の新聞も、記事に登場するキャラクターの紹介という側面がある。両書籍に掲載されている文々。新聞が、設定で書かれている程には出鱈目ではないのも、そうした事情があっての事だろう。そしてそれは、花果子念報にも当てはまると考えられる。
霊夢は文々。新聞と花果子念報に掲載された妖怪が迷惑を及ぼしているという記事について、「天狗の書いた新聞だからこれでもまだマシに書かれていると思う」と語っており、ニュースソースとして一定の評価をしつつも、信憑性に疑問を感じてもいるようだ。この為、花果子念報の平均的な記事には出鱈目やミスも含まれていると考えられ、場合によっては文々。新聞と同様の嘘だらけの新聞であるという可能性も完全には否定出来ない。
資料が少ない為、花果子念報の全体的な傾向がどのようなものであるのかは現段階では明らかではないが、「ダブルスポイラー」でのはたての発言や、撮影した写真に対するコメントから、はたての執筆方針をある程度は推測可能なので、実際の記事を考察する上での参考として以下に記載する。
しかし萃香や勇儀らかつての天狗の上司は、天狗は調子の良い嘘をつく種族であるといった趣旨の発言を何度か繰り返している。また文を見ても、自身の新聞に対する外部への主張、被写体への率直な感想、そして実際に出来上がった新聞では、それぞれかなりの隔たりがある。この為、コメント等から予想されるはたての方針が正しいものであるという保証は無い事に注意されたし。
記事内容重視
はたては記事内容を重視しているようで、「取材を生かすには推敲を重ねた記事が必要」、「写真に似合った記事は、読者の興味を惹き写真の魅力をさらに引き立てる」と語っている。どうせ人間は記事の本質など理解しないといった趣旨の文の発言に対し、「じゃあ、私が人間が記事まで読むような新聞を作ってみせる!」と啖呵を切る場面も見られた。
これらは非常に志の高い方針のように聞こえ、文には「青い」とまで評されている。しかし取材で撮影した写真に対するはたてのコメントを見てみると、「こうなったら桶の中身は想像で記事にしてやるー」、「ま、人違いでもいいか。記事に書いちゃえー」といった、記事の正確さに対して割といい加減な姿勢も垣間見える。文章としての出来が良ければ、内容自体は出鱈目であっても気にしないのかも知れない。
一方、記事に比べると写真は若干軽視している節があり、大き過ぎて撮影困難な被写体について「絵で誤魔化そうかな」と考える事もあった。
以前のはたては自身が取材していない写真を元に記事を書いていたので、新聞作りにおいて、記事以外に力を入れる事が出来る箇所が無かったと思われる。彼女の記事重視の姿勢は、この頃の名残かも知れない。
扇情的な記事
文は日常の些細なニュースを好んでおり、それが文々。新聞の紙面にも反映されていた。一方はたてには、人目を惹きやすい派手な出来事を好む傾向があるようだ。「大人しい祭じゃ記事は書けないもん」、「こういう奴のお陰で新聞記事が面白くなるんだよね みんな見下せるから喜ばれるんだろなー」、「怨恨殺人燃えるわー」といったコメントからは、イエロージャーナリズム的な性質が色濃く滲み出ている。
とは言え「求聞口授」に収録された花果子念報の記事には、派手な事件とは言えないものも多く、好みとは裏腹に、地味な事件は記事にしないという訳ではないのだろう。
私的な思惑の反映
はたては椛について「長所を記事に書いた方が良くない? 身内だし」とコメントしており、内輪びいきの方向にバイアスのかかった記事を書いている可能性がある。
また金塊を掘り出す能力を持つナズーリンについて、「記事にしないで飼い慣らした方が得……」と考えており、自身の利益次第で記事への採用が左右される事があるとも考えられる。
関連項目
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