高木三四郎 単語

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高木三四郎とは、株式会社DDTプロレスリングの代表取締役社長で、WRESTLE-1運営する株式会社GENスポーツエンターテイメント最高経営責任者(CEO)であり、DDTプロレスリング所属の大人げないプロレスラーである。
本名は高木規(ただし)。アイドルマスター高木順一朗と並ぶ、二大「高木社長」でもある。

概要

1970年1月13日生まれ、大阪府豊中市出身。
少年時代は典的なテレビっ子であり、父親TV会社勤務のでよくテレビ局へと連れて行ってもらっていた。
そのもあり、当時放送されていたプロレス中継を観た翌日に行ったプロレスごっこでは、番組さながらの”役割”を意識していたという。

高校時代は柔道部を装った確信犯プロレス部で腕を磨き、駒沢大学入学
しかし駒大には実技の方であるプロレス研究会がかったため、新生UWFが旗揚げした次期でもあった事もありプロレス観戦に精を出す。その後テレビ番組研究会に入った事をきっかけに、「自分たちでイベントを手掛けたい」と思うようになる。しかも最初に手がけたイベントではいきなり2500人の集客、学生としては異例の人数を記録イベントプロデューサーとして一躍界で注を集めるようになる。ちなみにその時は、プロレスラーになるという意識は本人にはもうなかったようだ。代わりにイベント成功のノウハウ、観客論をこの経験で得るようになる。

その後の1994年アメリカ短期放浪後に屋台プロレスの関係者に誘われイベントをこなすうちにプロレスラーになりたいというが再燃。IWA格闘志塾の入門テストに合格し、晴れデビューを果たす。(正式デビューは翌年のPWC移籍後、トラブルシューター高智戦。)1996年には衆議院選挙神奈川県9区から出したが落選。この時のポスターハードコア戦の時に、精器として扱われる事がある。

翌年に三上恭平(MIKAMI)、野沢一茂(NOSAWA論外)とともに、DDTプロレスリングを旗揚げ。以降は団体のエースとして活動を始めるようになる。その後の2006年社長争奪ロイヤルランブルを制し、第4代社長に就任。以後は大社長の肩書でDDT成長にを注ぐため奔走、2009年からは3年連続で両国国技館大会を成功させた。

2010年12月から1年間、DDT下団体であるユニオンプロレスに移籍し、同団体の知名度アップに貢献。民的プロレスラーユニットTKG48」のプロデューサーとして他団体でも活躍した。2012年からはDDTプロレスリングに復帰。社長でありながら反体制ユニットnWJ」を結成するなど、いつも通りの大人げなさを発揮する。同年8月18日に行われた日本武道館大会を成功させてからは、試合中に発表した5年後の東京ドーム進出を標に、レスラーとしても経営者としても大人げない活動を拡大した。

そして2015年5月には全日本プロレスから独立武藤敬司社長を務めるメジャー生団体・WRESTLE-1の最高経営責任者に就任。独自路線でDDTを拡大した時とは異なる団体革を行うことになった。

ネットでの活動

得意技

デビュー当初はオーソドックスなレスラーだったが、ストーンコールドに出会ってからは、スタナーを得意技とするようになる。和田良覚レフェリー(兼トレーナー)のもとで改造に成功し、SHBやスピコリ・ドライバー、ぶっこ抜き雪崩式ブレーンバスターなどを得意とする、DDTパワーファイター変身した。週刊プロレス佐藤編集長からは「隠れたパワーファイター」とも呼ばれている。

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最終更新:2024/04/28(日) 13:00

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