ベドジフ・スメタナ[1] / フリードリヒ・スメタナ(1824~1884)とは、19世紀に活躍したチェコの国民学派に属する作曲家である。
概要
連作交響詩「わが祖国」、特に第2曲の「ブルタバ(モルダウ)」でおなじみのあの人である。
東ボヘミアのリトミシュルのビール醸造業者の家に運れた。幼いころは各地を転々と移り住んだが、ポルカを中心としたピアノ音楽を作曲し、社交界の寵児となる。スメタナ自身も「作曲ではモーツァルト、ピアノ演奏ではリストを目指す」と日記に記している。
やがて1843年にプラハに出て、ヨゼフ・プロクシに作曲を学び、この時代に多く見られた貴族の音楽教師として生計を立てた。1849年に結婚し、ピアノ演奏ももてはやされるも、相次いで子供を失い、1856年にアレクサンデル・ドライショックの勧めでスウェーデンのオーケストラの指揮者となるが、59年に妻も結核で失った。
その後リストの招きでワイマールを訪れ、弟の嫁の妹と再婚。61年にスウェーデンから引き揚げ音楽塾を開き、63年にはフラホル合唱協会の指揮者に就任、さらに芸術協会の音楽部長となる。
1866年、コンクールに入賞したオペラ『ボヘミアに侵入したブランデンブルク人』の次作、『売られた花嫁』の初演直後オーストリアとプロイセンが開戦。戦後一変したプラハで仮劇場指揮者兼付属歌唱学校の設立者となったスメタナは、フランチシェック・ピヴォダの反感を買い、楽曲を非難される。さらに1874年にベートーヴェンと同じく聴覚を失い、隠棲。しかし彼の作曲への情熱は衰えず、その後の10年間に連作交響詩「わが祖国」や弦楽四重奏曲「わが生涯より」を作曲していった。
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関連項目
脚注
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