三笠宮一族の悲劇(みかさのみやいちぞくのひげき)とは皇族である三笠宮一族に起こった悲劇である。
推移
三笠宮崇仁親王は大正天皇と貞明皇后の第4皇男子。昭和天皇の弟である。彼も日本の皇族として男子の血統を絶やさないという使命があった。1941年(昭和16年)10月22日、子爵高木正得の次女高木百合子と結婚。期待に答え5人生まれたこどものうち3人は男子に恵まれた。これで天皇家直営家のバックアップである宮家の役割は果たせたかに思えた。
男子の孫が生まれない!
長男寛仁親王には2子、三男憲仁親王には3子の子供を授かったがいずれも女子。皇室において男子が生まれないということはその宮家の断絶を意味していた。
息子三人に先立たれる。
さらに三笠宮に起こった悲劇は息子3人、3人共に先立たれたことである。三男高円宮憲仁親王は2002年(平成14年)11月21日心室細動による心不全で倒れた。47歳没。長男寛仁親王は2012年(平成24年)6月6日15時35分、多臓器不全のため薨去。66歳没。次男桂宮宜仁親王2014年、急性心不全により薨去した。66歳。これで、三笠宮崇仁親王・百合子妃夫妻の間に生まれた3人の男子全員が薨去し、男系断絶が確定した。
その後、三笠宮崇仁親王は2016年(平成28年)10月27日、薨去。満100歳没だった。
これが意味するもの
4人の皇位継承問題は5位~9位と本人たちが継承する可能性は低かった。しかし現在系統を継げるのが秋篠宮家の悠仁親王しかいない現状を考えれば、この一族が絶えてしまった代償は大きい。
またいざというときのバックアップの一族がなくなったのも痛い。いまやどうにもならないが残念なばかりである。
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