十四年式十糎高射砲とは、大日本帝国陸軍が運用していた対空砲である。
概要
十四年式十糎高射砲は1920年に開発が始まり、1925年に仮制式の制定を上申し1927年に制定された重高射砲である。
開発
日本陸軍は1920年、十糎半野戦高射砲と十糎陣地高射砲の開発を決まり、この頃には十一年式七糎半野戦高射砲が採用されたのでこの審査結果を加味しつつ、要求項目を決め設計を開始。1924年に試製砲が完成した。試験の結果、修正をし実用化を経た。この過程で200kmの行軍も経験している。1923年には機械式信管も完成し、最大射高10000mに達する事が認めら本砲の完成となった。本砲は一部の部品の組み替えのみで野戦、陣地を両用できる高射砲であり、野戦では30分で戦闘状態に入り、撤去時間も同等。陣地では1時間となっている。運搬状態では牽引車を使い、時速15kmで移動出来た。本砲の問題は高射姿勢の場合、大重量の砲弾を装填するのに極めて苦労し、腰を痛める砲手が続出した。75mm級高射砲(八八式七糎野戦高射砲)は熟練した分隊ならば毎分20発が可能だが、本砲では毎分5発である。戦闘が長引けば毎分1~2発に落ちてしまう。これは実用上問題があり、この問題を解決する為、1928年から後付けで自動装填装置の開発が始まったが、元々本砲の設計はそのようなものを取り付けように出来ていないので余裕が無く、自動装填装置の開発は苦労し結果的に1936年に完成した。自動装填とは言っても簡易的なものでしかなかったが、それでも2~3発に発射速度は上昇した。これより後に開発した試製十糎陣地高射砲においては、装填装置ありで最初から開発したおかげで順調に付けれたという。高射装置は当初、十一年式高射照準具を使用していたが、八八式高射照準具に改良されている。本砲の対空砲弾の加害範囲は28mに達する。製造数は70門である。
口径105mm
砲身4200mm(45口径)
砲身重量1283kg
砲列放射重量6900kg
俯仰角0~85度
弾薬筒重量23.7kg
砲口初速700m/s
毎分5発(実用上2~3発)
最大射程16300m
最大射高10500m
有効射高8400m
実戦
戦前に実用化された重高射砲であり、装甲列車に搭載されたものもあったが、基本的に日本本土に配備されていた。大東亜戦争では主に九州の八幡製鉄所での防空で使用されており、この頃にはより高性能な三式十二糎高射砲などが実用化されたが、終戦まで防空任務に従事している。
関連項目
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