1923年(大正12年)
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年 | 1911年 | 1922年 | 1923年 | 1924年 | 1935年 |
干支 | 亥 |
戌 |
亥 |
子 |
亥 |
1923年の事柄
関東大震災
9月1日午前11時58分、相模湾を震源とするM7.9の大地震が発生。最大震度7相当(当時の震度階級は6が最大だった)の揺れが10分以上続いた。多くの人々が昼食の準備で火を使っていたことから、至るところで火災が発生。強風が災いして飛び火が次々と延焼した。東京市の4割が焼失し、7割の人が家を失った。家屋倒壊、火災、土砂災害、津波などにより死者は10万人あまりに登る。
→ 関東大震災
新聞社が被災したことで報道がマヒし、「富士山が爆発した」「大地震が再来する」などのデマや噂が人々に広まった。また警察署が被災し電話も通じなくなったことから、警察の操作能力が壊滅。戒厳令が敷かれて軍人が各地に配備され、民間人により自警団が組織されたが、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「朝鮮人が放火した」といったデマによる混乱で一部が暴徒化。朝鮮人と見られる人間に無差別な暴行や殺害が行われるなど、治安が急速に悪化した。
ラジオ放送が開始されるのはこの2年後のことであった。
7日には混乱を収束させるため「治安維持令」が緊急勅令で発せられ、即日施行された。これを前身の一つとして、1925年には言論統制や思想統制の色が強い「治安維持法」が成立した。警察庁も当初は朝鮮人に対する警戒を呼びかけていたが、実態が分かると彼らを保護し、「有りもせぬ事を言いふらすと処罰されます」といった内容のビラを配って事態を沈静化させた。
震災後の影響
- 世界30カ国以上から支援が集まり、現在の価値にして1000億円以上の義援金や物資が贈られる
- 上野の西郷隆盛像に尋ね人の紙が多く貼られる
- 神田佐久間町と泉町で住民による決死のバケツリレーが功を奏し、1630戸が延焼を免れる(昭和14年に東京府が「町内協力防火守護の地」として史跡に認定)
- 住民の協力、団結を求める「町内会」が多く成立
- 多くの橋が被害を受け、東京市では8年間で425の橋が掛け直された
- 戒厳令により混乱の沈静化、復旧工事にあたった軍隊が存在感を増した
- 市電が壊滅状態となり、上野~東京間に乗合馬車が復活
- 10月、大日本雄辯會講談社がいち早く「大正大震災大火災」を発売しベストセラーに
- 「この際だから」という言葉が流行
- 浅草寺のおみくじの売上が1日3000枚から8000枚に増加
- 失職した寿司職人が地元各地に帰るようになり、押し寿司が主流の関西でにぎり寿司が浸透
- 帝国ホテルライト館が落成披露宴当日の準備中に被災、電化厨房と大きな池が幸いし類焼も発生せず被害は微小で済む
- 虎印魔法瓶(現・タイガー魔法瓶)が納品していた魔法瓶100本が1本も割れていなかったことから評判に
1923年の出来事
1923年生まれの著名人
1月20日 | 三國連太郎 | 俳優、「釣りバカ日誌」スーさん役 |
1月25日 | 池波正太郎 | 小説家、「鬼平犯科帳」「剣客商売」 |
3月17日 | 船越英二 | 俳優、船越英一郎の父 |
3月27日 | 遠藤周作 | 小説家、「海と毒薬」 |
5月13日 | レッド・ガーランド | ジャズピアニスト |
5月27日 | ヘンリー・キッシンジャー | 政治家、国際政治学者 |
6月4日 | 大山倍達 | 空手家、極真会館創始者 |
7月19日 | 三波春夫 | 演歌歌手 |
8月7日 | 司馬遼太郎 | 小説家、「燃えよ剣」「竜馬がゆく」「坂の上の雲」 |
11月10日 | 忠犬ハチ公 | 秋田犬 |
11月23日 | 白井義男 | プロボクサー、世界フライ級王座 |
12月2日 | マリア・カラス | ソプラノ歌手 |
1923年に亡くなった著名人
2月10日 | ヴィルヘルム・レントゲン | 物理学者、X線の発見で第1回ノーベル物理学賞を受賞 |
3月27日 | ジェイムズ・デュワー | 物理学者、極低温の液体を保存するデュワー瓶(魔法瓶)を発明 |
4月4日 | ジョン・ベン | 論理学者、ベン図の考案者 |
8月2日 | ウォレン・ハーディング | 政治家、第29代アメリカ大統領 |
8月24日 | 加藤友三郎 | 海軍軍人、政治家、第21代内閣総理大臣 |
9月19日 | 快楽亭ブラック(初代) | 落語家 |
12月27日 | ギュスターヴ・エッフェル | 土木技師、エッフェル塔を建設 |
関連動画
関連項目
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