概要
古くから山陰地方に根付き、この地域に特化して育まれた柴犬の一種である。元々は鳥取県でアナグマ猟に使われた因幡犬と島根県で荷引きに使われていた石州犬の二つの犬種が存在していた。
開国後の日本には様々な洋犬が入ってきた。当時の日本人は物珍しい洋犬を持て囃しており、鉄道を始めとした交通網の整備が進められたことも相まって、洋犬との交雑が進み日本犬は絶滅の危機に瀕した。また、異なる地域の日本犬同士でも交配が進み、地域ごとの特徴も失われようとしていた。
この流れに危機感を覚えたのが日本犬保存会の審査員であった尾崎益三氏である。尾崎氏は故郷鳥取の地犬の調査保存に着手を始めた。良質な犬は山陰地方の雪深い山間で猟犬として飼われており、尾崎氏は鳥取県内は勿論のこと山陰地方を歩いて各地の両市からこれぞと思う犬を譲り受け、自邸の山陰犬舎で繁殖・固定に取り組んだ。
この尾崎氏の尽力により日本犬の標準に合致した体型・体高は勿論、鳥取の地犬らしい気質と猟能を備えた犬種が完成しつつあった。しかしながら、日中戦争から太平洋戦争と日本の戦線は拡大していき、軍用供出や食糧事情により五十頭を上回る犬の飼育は困難となり、尾崎氏は窮地に追い込まれた。幸い時の鳥取県知事であった林敬三氏の理解と食糧支援によって辛うじて二十頭あまりの犬を残すことができた。
この戦争の影響により有効な保存活動ができずに絶滅に追いやられた日本犬種は数多く、尾崎氏の努力と林知事の理解がなければ山陰柴犬が日の目を見ることはなかったであろう。
何とか生き残った犬たちをもとに尾崎氏は再び繁殖と固定に取り組み始めた。戦前から因幡犬を軸として石州犬の血を取り入れる試みが行われており、これにより誕生したのが「山陰柴犬の礎犬」と呼ばれる太刀号であった。また、石州犬の血を取り入れたことにより因幡犬の特徴が薄まったが、この両犬種の交配により現在の山陰柴犬が存在する。
その後も昭和20年代と30年代の二度にわたるジステンバーの流行により、多くの優秀犬を失う悲劇もあり絶滅が危惧されたが、少数の愛好家の手により地道な保存活動が続けられた。
平成16年には尾崎氏の孫らが中心となって山陰柴犬育成会が結成され、組織的に保護・繁殖・周知が行われるようになった。これらの継続的な取り組みが実を結び、2020年には約450頭ほどまでに回復。飼育希望者も増加し、繁殖が追いつかないほどの人気となっている。
特徴
- 体高は雄が40cm、雌が37cm程である。
- 顔付きは通常の柴犬がタヌキ顔であるのに対して、山陰柴犬はキツネ顔をしている。
- 一般的な柴犬と比べて脚は長めで、少し痩せ形である。
- 尾は差し尾、鎌尾、巻尾の何れか。
- 毛色はかつては様々な色があったが、固定化の段階で多くの毛色が排除されたため現在は赤のみ。しかし偏に赤といっても様々で、殆ど白といってもいい淡赤から黒混じりの赤まで存在している。
- 性格は日本犬らしく主人に忠実かつ従順で落ち着きがあり、忍耐強い。運動量は多めで、病的抵抗力も通常の柴犬よりも高いといわれる。また、高齢になっても外見上の変化は少ない。
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