カリーム・ガルシアとは、メキシコ出身のプロ野球選手(外野手)である。2006(平成18)年までNPBオリックス・バファローズに在籍した。
1992(平成4)年にロサンゼルス・ドジャースに入団。1995(平成7)年にメジャーデビュー。メジャー10年間で488試合出場、66本塁打を記録した。
日本人選手ともプレーしており、2000(平成12)年にはデトロイト・タイガースで野茂秀雄と(ただし、シーズン途中に移籍)、2003(平成15)年にはニューヨーク・ヤンキースで松井秀喜(現オークランド・アスレチックス)と、2004(平成16)年にはニューヨーク・メッツで松井稼頭央(現東北楽天ゴールデンイーグルス)とプレーしている。
2005(平成17)年に合併球団オリックス・バファローズに入団。5月ごろまでは本塁打が1本も出ない大不振に陥り、二軍落ちも経験した。再昇格後は好調を維持し、主砲としてチームトップの21本塁打を放った。
この年のハイライトは、2試合連続1試合3本塁打の世界記録を作ったことである(後述)。
2006(平成18)年、WBCメキシコ代表に選ばれるも、故障で3試合しか出られず。
シーズンでは、不振に陥り、交流戦では1番を任されることもあった(外国人長距離砲の1番起用は極めて異例)。結局、この年はシーズン終盤に復調し、チームトップの13本塁打を放った(ちなみに、この年、清原和博は11本塁打、中村紀洋は12本塁打)。しかしながら、Bクラス決定後に打ち始めたことと、ベンチで長電話をしていたのが中村勝広監督(当時)の怒りを買ったこと、この二つが退団の決定的事項となり、2年でチームを去った。
退団後の2008(平成20)年からは韓国のロッテ・ジャイアンツで主砲として活躍し、打点王を獲得した。
2009(平成21)年の第2回WBCでもメキシコ代表として出場し、4日目のオーストラリア戦で場外の車の窓ガラスを割る特大本塁打を放った。これは日本のニュースでも伝えられ、ちょっとした話題となった。
2010(平成22)年9月8日の試合で、審判に暴言を吐き退場した後、ツイッターで不満を述べたため、KBO(韓国野球委員会)と審判団に謝罪した。結局、同年限りで韓国ロッテを退団した。
元々は200m走の選手で、走塁は積極的である。しかしながら、日本時代は盗塁3個だった。
非常に強肩で、オリックス時代はチームトップクラスと言われたが、守備はイマイチである。
2006年のとある西武戦では、オリックス応援団がお遊びで西武片岡易之内野手の応援歌をパクリ、「ガールシアガールシーア、ガールシアガールシーア!!」と応援した。これが西武応援団の怒りを買い、ネットでもちょっとした議論になった。ちなみに、この試合でチームはサヨナラ勝ちしている。
2005年8月10日の楽天戦(スカイマークスタジアム)、ガルシアは5番ライトで先発出場した。2回裏、楽天先発岩隈久志から先制12号ソロ本塁打を放つ。さらに、4回裏にも岩隈から13号ソロ本塁打を放つ。さらにさらに、7回裏には小林宏投手からダメ押し14号2ラン本塁打を放った。
その翌日の同カード、この日も5番ライトで先発出場したガルシアは2回裏、楽天先発紀藤真琴から15号ソロを放つ。さらに、3回裏にも紀藤から2打席連続の16号3ラン本塁打を放つ。さらにさらに、8回裏には一場靖弘からダメ押しの17号ソロ本塁打を放ち、世界記録の2試合連続1試合3本塁打を達成した。この活躍が認められ、8月度の月間MVPを獲得した。
年間2度の1試合3本塁打を記録した打者には、巨人・川上哲治、ロッテ・江藤愼一、阪神・田淵幸一・ロッテ・落合博満などの大打者の名前が連なっている。ちなみに、この年間2度の1試合3本塁打を記録した打者の中で、在籍期間がわずか2年というのは、ガルシアだけである。
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最終更新:2025/12/05(金) 23:00
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