ホーエンツォレルン家発祥の地であり、ドイツでも指折りの名城として知られる。現在でもホーエンツォレルン家の末裔が所有する私有地だが、入場料を払えば城郭内を観光することができるほか、ガイドツアーの形式で城内の一部を見学することも可能。プロイセン王冠など貴重な品も展示されており、ドイツ人の観光客も少なくない。
ただし、現在の城郭は19世紀になって「再建」されたものであり、中世とはかなり外見・内装が異なっていることに注意。
日本人が公共交通機関で訪問する場合、次のように行くのが標準的であろう。
シュヴァーベン地方のホーエンツォレルン城の城主から勢力を拡大した貴族・王族・皇族。実際はもっと複雑だが、大雑把に叙述すると次のような系統がある。
本拠地シュヴァーベン地方に残った系統。宗教改革期以降もカトリックを維持した。ホーエンツォレルン城に程近いヘッヒンゲンを本拠とするホーエンツォレルン=ヘッヒンゲン家や、ジグマリンゲンを本拠とするホーエンツォレルン=ジグマリンゲン家があり、19世紀には後者からルーマニア国王が誕生した。
ニコニコ大百科には同系出身の者として次の記事がある。
ホーエンツォレルン家出身の人物がフランケン地方に属する都市ニュルンベルクを管理するニュルンベルク城伯の地位を得たことで誕生した系統。後にニュルンベルクの支配権は失ったが、その後も同地方の都市アンスバッハを拠点とするホーエンツォレルン=アンスバッハ家や、同じくバイロイト(それ以前はクルムバッハ)を拠点とするホーエンツォレルン=バイロイト家が残った。
ニュルンベルク城伯の系統からブランデンブルク辺境伯(選帝侯)が輩出したことに由来する系統。ベルリンを主たる本拠地として勢力を築いた。宗教改革期にプロテスタントへと改宗。後に上掲のホーエンツォレルン=アンスバッハ家からプロイセン公が出ると、その姻戚として後にプロイセン公の地位も兼ねるようになり、いわゆるブランデンブルク=プロイセンの統治者となった。後にプロイセン国王、さらに後年にはドイツ皇帝の位を世襲した。
1918年に最後の皇帝ヴィルヘルム2世が退位・亡命したことでドイツの統治権を失ったが、紆余曲折を経て同家の末裔は現在ドイツで暮らしている。
ニコニコ大百科には同系出身の者として次の記事がある。
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2 ななしのよっしん
2015/09/29(火) 22:55:01 ID: WslSF4Y50O
ちなみに現当主には双子の男児が生まれてて、継承問題で揉めそうな気がする
ドイツに君主制を復活させるべきだとも言ってるし
3 ななしのよっしん
2016/11/13(日) 15:43:03 ID: YiVpc+wmeK
4 ななしのよっしん
2017/08/31(木) 14:38:10 ID: YJ7ypa40nc
カール・フリードリヒかルイ・フェルディナントかで揉めるなら第四子三男のハインリヒにすればいい
ちなみに現在のプロイセン王位・ドイツ帝位請求者の第10位はロシア帝位請求者の一人の息子のゲオルギー・ミハイロヴィチ・ロマノフ
しかし今のところ独身なのでホーエンツォレルン家はともかくロマノフ家の存続は相当危うい
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最終更新:2024/05/03(金) 09:00
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