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フェルディナント単語

フェルディナント

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フェルディナント(Ferdinand)とは、

  1. ゲルマン系の男性名。→海外の姓名の一覧
  2. 第二次世界大戦においてドイツ軍が運用した対戦車車両の名称。
  3. ゲームソフトロックマンDASH 鋼の冒険心」に登場する、賊ボーン一家トロンが操るタコメカ

本項では2を解説する。

概要

競争試作のはずなのにコンペ前から既に発注がなされてしまっていたポルシェティーガー台の処理方法として、とりあえずその時点で乗せられる一番でっかい大砲と積めるだけの装甲つんどけという発想で作られた重駆逐戦車である。

開発の経緯

1942年4月18日、VK4501(P)、俗に言うポルシェティーガーの試作第1号完成。しかし総統アドルフ・ヒトラー誕生日に間に合わせるためともいわれる納期優先のやっつけ仕事が祟り、信頼性に欠けるエンジンが元パワー不足・走行不足をコンペティションでさらけだし、同年10月頃には同の装備化はほぼ断念される状況となったのである。総統閣下は大好きなポルシェ博士の製品を何が何でも採用したかったみたいだけどさ。

当時、各地の前線からは圧を増してくる敵軍に対抗するための強戦車の要がひっきりなしに届いており、そのに応えるつもりの総統閣下は、完成するであろう新戦車を多少順番が前後してでも早急に前線に届けるために、試作コンペ前からの量産資材発注許可していたのである(実はここらへんの事情はVK4501(H)、採用されてⅥ号戦車ティーガー」となった車両もさほど変わらず、生産発注はコンペ了前に始まっている。そのためティーガーは生産段階において形式が変わらないままの仕様変更がけっこう多く、後の戦車プラモ野郎たちを悩ませることとなった)。かくして不採用になったポルシェティーガーパーツもきっちり100両ぶんが届いてしまっており、さてこれどうすんべ、という問題が発生することになった。10両はポルシェティーガーとしてとりあえず完成、残る90両ぶんの部分はちょっと手直しして「ティーガー」に載せればいいやってことで処理先が決まったが、問題は首なし90両ぶんのほうである。ぶっちゃけこのままではただの粗大ゴミだし。

1942年9月総統会議にて、その行き先が決定された。当時クルップ社にて開発が進められていた次期対戦車88mmL71を載せて200mmの装甲を備える、とにかく堅くて強い対戦車車両ベースにしようという案が採用されたのである。命名も「ポルシェ博士の偉大な業績を称えるため」っつーことでポルシェ博士ファーストネームつけることになったし、ぶっちゃけ総統閣下趣味じゃね?まあ台そのものはもう品だし、チョビおじさん趣味に使ってしまっても前線の兵器減るわけじゃないしまあいいよね? ね? 

かくしてここに重駆逐戦車「フェルディナント」が誕生することとなったのである。誕生の時点でもう充分すぎるくらいに数奇な運命をたどっている90両の兄弟たちだが、彼らの苦難のはまだ始まったばかりであった。

構造と改修

まず。枢軸側最強の対戦車88mmL71を搭載した最初期の車両のひとつである。このは大戦末期に至るまでのあらゆる連合軍戦車に有効な威を持っており、後述する装甲の分厚さと組み合わさることで正面からの戦であればほとんどの連合軍戦車に対して一方的に撃滅できる距離域を保持している。

装甲は前面200mm。部・体部前部200mm。大概の戦車WW2での戦車戦の経験を経る中で、被弾確率が高い部だけに重装甲をり、体部はそこまで分厚くせずに重量軽減を図る設計が流になってくるのだが、この車両戦車ではないのでそんなこと気にしない。掛け値なしの200mm。

台は上述の通り、ポルシェティーガー台をベースにしたものとなっている。不採用の原因のひとつとなったポルシェ社設計のエンジンを信頼性に定評のあるマイバッハ社製エンジンに換装し、発電機を回して生み出した電モーターを回すガソリンエレクトリック駆動方式を引き続き採用。懸架装置も同様にポルシェ博士設計の外装式縦置きトーションバー・サスペンションを採用している。この組み合わせの長所は製作が困難で破損しやすい重戦車トランスミッションが不要なこと、製作に高度な冶技術が要される長大トーションバーが不要なこと、外装式なので整備の手間がけること。欠点はエンジン→発電機→モーターという遠な動システムがもたらすロスの多さと重量過大、緩衝の不足とそれがもたらす懸架装置の寿命の短さ、発電機とモーターダブルで発生される電磁波による通信困難&重な戦略物資であるの大量消費。どんな技術にも一長一短があり、それが使われる状況にマッチしていれば誉めそやされ不適合であればダメ技術とそしられるものではあるのだが……。

初陣を生き延びた車両には1943修が施され、構造上の問題は多少は解消されている。そのひとつは防御火器である機の増設であるが、これが後に憶測を呼ぶことになる。また同時にヒトラーの提案で、前線でこの車両を兵たちが呼んだ名前「エレファント」を新たな名称とすることになった。大戦末期の予備部品の欠乏やオーバーホールの機会の乏しさで、充分なメンテナンスを行えばまだ使える車両を放棄せざるを得ず乗員自らの手で爆破された車両も多い。

実戦

この90両の兄弟たちを受け取ったのはソ連侵攻から戦を戦い抜いてきたベテランの突撃部隊であり、装備車両の変更と組に伴って第653重戦車駆逐大隊・第654重戦車駆逐大隊と称されることとなった。両大隊は号突撃戦車ブルムベア装備の第216突撃戦車大隊と合わさって「第656重戦車駆逐連隊」を構成。この車両軍団はドイツ中央軍集団の切り札として編成・訓練もそこそこに東へ向かう。行き先はクルスク。

長いロシアの大地での戦いを経て疲弊しつつもその中で研ぎ澄まされた技量を誇るドイツ機甲軍団と、濃密な対戦車地と地平線を埋め尽くさんばかりの戦車の群れでそれを迎撃せんとすソ連赤軍。この世界陸戦史上前絶後の戦車戦が繰り広げられた戦いにおいて、フェルディナントの初の実戦が行われたのである。

 

結果から先に言えば、クルスク戦終了時(1943.8.7)に生き残っていたフェルディナントは50両。兄弟たちのうち半数近くは初陣から還らずロシアの大地に沈んだのである。

しかし、その戦いぶりは壮絶というべきものであった。7月上旬のドイツ軍攻勢時に失われた19両のほとんどは装甲戦闘車両の宿命的弱点である機関部放熱グリルへの重弾の直撃であるが、これは落ち着いて考えると恐ろしい事実である。ふつう装甲戦闘車両の陸戦での損失理由でこれがトップにくることはありえない話なのだ・・・・・・重戦車の後部グリルを狙って撃つような兵器ではないし、そもそもめったに直撃なんかするもんじゃないのだから。つまり第656重戦車駆逐連隊は、ソ連のお芸「大量の重による高密度制圧射撃」で守られたエリアを強行突破するために投入され、それでも大半が生き残り、待ち受けていたソ連軍対戦車地を一方的に破砕して前進し続けたということに他ならない。しかしせっかく地線に開けたも、そこになだれ込む後続部隊がいなければ意味はない。歩兵部隊は重による制圧射撃の前に前進を阻まれ、突破を拡大する予備装甲戦も欠乏していて、結局第656重戦車駆逐連隊の奮戦が戦局を変えるには至らなかった。

7月中旬からのソ連軍の反撃においてもフェルディナントは戦い続け、最終的に連隊の合計戦果として戦車500両以上、対戦車20門以上、野100門以上の破壊が記録されている。これらの戦および撤退戦時における放棄としてさらに20両が失われ、その結果が上記のクルスク戦終了時の数字である。しかしこれらの損失の中で、ソ連軍の戦車・対戦車によって失われたのはおびき寄せられてT-34×7両とZIS-3(ラッチェ・バムと渾名された高初速で、対戦車としても運用された76.2mm)×4に至近距離から撃たれたケース1例だけである。

ソ連自慢の重による制圧射撃を強引に抜けてきて、戦車や対戦車フルボッコしてもまず死なない。向こうが撃てばこっちの戦車地も全部保たない。取りうる対抗策といったら地雷原におびき寄せて履帯切るくらいしかい。移動速度こそ大したことないけど、それでもじわじわ前に進んでくるのはどうにも止めようがない。ソ連からしたら地獄から這い出てきた悪魔のような存在であり、これ以後ドイツの対戦車車両はなんでもかんでも「フェアジナント」(フェルディナントのロシア語読み)と呼ばれてしまうほどに恐れられた存在となった。

ドイツ側でもクルスク戦での評価は決して低くはなく、「最高かつ最強兵器」「多大の損失を出しつつも、常に標を達成する」等々の賞賛が寄せられた。そして満身創痍での帰還となった生き残りのフェルディナントたちは戦訓による修を受け、その後も戦い続けることとなる。装備車両ヤークトパンターに変更した第654重戦車駆逐大隊と別れ、第654重戦車駆逐大隊と「エレファント」たちは装備車両を少しずつ失いながら、イタリアで連合軍を迎撃、そしてソ連の大反攻への火消し役、と戦い続ける。1944年末に第653重戦車駆逐大隊はヤークトティーガーへの装備変命が下り、残ったエレファント14両は第612重戦車駆逐中隊にまとめて配備されることとなる。同中隊も絶望的な戦局の中で戦い続け、ついに1945年2月22日ベルリン近郊の防衛戦へ出撃していったのが最後の記録となった。

戦後

90両の兄弟たちのうち、現代に至るまで生き残ったのはわずか2両。アバディーンアメリカ陸軍兵器博物館所蔵のものとロシア・クビンカ戦車博物館所蔵のものだけである。数奇な出生と闘の生涯を経てやすらかに眠りについている(アバディーンの子は屋外展示なもんでサビと老朽化との戦いを続けてたんだけどな! 最近ヴァージニア州に移転されたそうなんでその機会にちゃんとレストアしてあげてくれ……保存兵器ダメにしまくってる日本人が言えた義理じゃないんだけどさ……)のだが、この90両の兄弟たちに関する話はまだ終わらないのである。

車両となったポルシェティーガーアレさ加減、ポルシェ博士へのヒトラーの異様な思い入れ、そして初陣での敗戦と半数の損失。これらの事績からただでさえ軽んじられがちだったこの車両には、決定的な食いつかれどころがあった。防御設備である機の未装備と、後の機装備の修である。当時、まだ資料が少なかった頃の軍事マスコミや研究たちはこれによってクルスク戦での結果をこう結論づけたのだ。「対戦車戦闘ではそれなりに強かったようだが、歩兵薄攻撃によって大量に損を出した」と。1970~80年代に多くが描かれた戦記ものマンガでも必然的にそうした扱いを受けることが多く、軍ヲタの皆様におかれましても年季の入った方々はここらへんの頃の空気をご存知の方は多いことでありましょう。

しかし、1991年ソ連が崩壊。これによってこれまで調の手がはいらなかった資料が大量に研究者のにとまるようになったこと、それに伴う西側資料の再調・再検討によって、上記のように90両の兄弟たちの実際の戦いぶりはこれまで想像されていたような役立たずなんかではなく、むしろ祖国の最後の最後まで、敵味方双方に畏敬の念を持たれるに足るだけの奮戦を続けたことが明らかになったのである。履帯破損して行動不能になった場合以外で薄攻撃で失われたフェルディナントはほとんどく、ガソリンエレクトリック機構にポルシェ式懸架装置も意外なことに、思われていたほどには実運用でのトラブルは多くなく(ただし重量による路外行動の低さや出不足による登坂不足、荷重負担によるエンジン部品の破損や懸架装置の命の短さも裏付けられたけど……)、ちゃんと開発期間をかけて作っていればそれなりには使えないこともない設計だったのだ。ダメ車両ヒトラー玩具スペック倒れの役立たずと戦いの日々を終えてからも誹謗中傷されつづけていた醜いアヒルの子たちは、本当はWW2という舞台を駆け巡った偉大な存在だったのである。かつて彼らをバカにした人はこの機会にごめんなさいしときなさい。ごめんなさい。

 

ただし、こんだけ総統閣下好みの特徴がいまくり、こんだけの大戦果を上げているにも関わらず追加生産が一切行われないまま終わったことも摘しておかなければならない。足回りの耐久性とかについては他の戦車もどっこいどっこいなので運用で「解決」(というか使えなくなったら自爆)するとしても、の消費問題とか通信妨問題とかはそんだけ重大な欠点であったということでもあるのだから。

関連動画

(6:13~2012年秋アニメガールズ&パンツァー」、戦車道大会決勝戦の相手でありヒロイン西住みほまほが率いる黒森峰女学院チームの1両として登場。っていうかガチすぎるんですけどこの編成。

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