内藤大助(ないとうだいすけ)とは、北海道出身の元プロボクサー、タレントである。元WBC世界フライ級チャンピオン。
1974年8月30日、北海道虻田郡豊浦町生まれ。
生まれる前に両親が離婚し、母親の手で育っている。
中学2年生の時に虐めにあい、胃潰瘍を患うなどの深刻なレベルに合ったが、学校側では気づかれるまま卒業を迎えた。
高校時代はいじめから開放されていた。高校卒業後は進学せずに調理師になる予定であったが、卒業前の研修でトラブルとなり、内定取り消しをされてしまった。
ニート状態にあった中で母親から叱咤されて状況、実父のいる工務店で働いていたが、1年後にボクシングの本を見つけたことがきっかけで宮田ジムに入門、地元に帰っても、中学時代のいじめっこに対抗できるためというのが動機だったらしい。
1996年にデビューし、いきなり1RKOを果たし、1998年に日本フライ級新人王を獲得、順当に実績を積み重ねていった。
2002年にタイで世界フライ級選王者だったポンサックレック・シンワンチャー(ウォンジョンカム)とタイトル戦に挑むも1RでKO負け。
しかし復帰後は再びKOを積み重ね、2004年に日本フライ級王者に輝く。2005年に再びポンサックレックに挑むも7Rで負傷判定負けを喫する。
2006年にはOPBF東洋太平洋フライ級のタイトルも獲得し、日本王者との二冠を達成した。その後怪我の理由などで両方の王座を返上している。
2007年7月、ポンサックレックと三度目の世界タイトル戦へ挑戦、12Rまで戦い、判定の末に勝利、32歳にしてついに念願の世界フライ級選手権チャンピオンに輝いた。
同年10月には、亀田3兄弟の次男、亀田大毅と最初の防衛戦に挑んだ。大毅は試合中にサミングやローブローを行い、最後には内藤を投げ飛ばすというルール無視の行為が続くも、3-0の判定で勝利した。
この試合がきっかけでブレイクし、全国に名前が轟くようになった。
その後王座を6度防衛するも、2009年11月に、亀田3兄弟の長男で元WBAライトフライ級王者の亀田興毅と対戦、0-3の判定負けを喫して王座から陥落した。
その後も現役を続けていたものの、怪我と年齢の問題によって2011年に現役を引退した。
引退後はボクシング中継の解説をする傍ら、タレントとしてバラエティ番組やテレビCMに出演している。
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最終更新:2024/05/19(日) 21:00
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