北条高広(きたじょう・たかひろ 1517? ~ 1587?)とは、越後の戦国武将である。
「ほうじょう」ではない、「きたじょう」である。大変紛らわしいので、この項目内では小田原の後北条氏には必ず「後」をつけておく。
軍神・上杉謙信に仕えた越後国人のひとり。「器量、骨幹、人に倍して無双の勇士」と称えられるほどの武将であったが「家中一の粗忽者」とも評される。
一度反乱するが軍神の前に叩きのめされた。謙信の関東出兵後は上野・厩橋城に入り、関東統治の責任者を任される。が、再度裏切り、再度復帰する。御館の乱では上杉景虎を支持するも敗れ、それ以降は没落の一途をたどる。
氏族は大江氏で、家紋は一文字に三つ星。安芸の戦国大名毛利氏と同族である。鎌倉時代に色々あって大江氏は壊滅したが、越後にいた毛利経光は生き残った。安芸の領地を継いで移り住んだ経光四男の子孫が毛利元就たち。一方、越後を受け継いだ嫡男の家系がこちら。
この越後毛利氏は途中から北条氏と安田氏の二系統に分かれる。戦国時代の初めごろには安田広春という人物が登場し、安田の当主と北条の後見人を兼任していた。だが彼には子がおらず、それぞれ庶流から養子がとられ、北条は北条高広が、安田は安田景元が後継者となった。
この再分裂がきっかけなのか、北条高広と安田景元は以降生涯対立することになる。ちなみに領地は隣同士であった(信越本線の安田駅・北条駅の辺り。現在は柏崎市)。
1530年ごろに家督を継承し、北条城主となる。1554年、川中島の戦いが始まった頃に武田信玄の調略を受けて寝返ったが、長尾景虎が自ら出陣してサクッと鎮圧された。この謀反を通報したのは安田景元であり、こちらは逆に景虎からお褒めの言葉を頂いている。
謀反の罪が許されると、以降は長尾・上杉家の重臣として活躍する。第四次川中島の戦いにも参戦。景虎改め上杉政虎(以下、謙信)が後北条氏討伐のため関東へ出兵するとこれに従い、1563年には上野・厩橋城(のちの前橋城)を与えられ、謙信留守中の関東前線の責任者(代官)を任された。この辺りから高広が将として評価されていたことが伺える。
……が、1567年に北条氏康の調略を受けてまたも寝返る。実はこの前年、謙信は下総・臼井城を攻めたのだが、ここに突如現れた謎の軍師・白井胤治(白井浄三)の大活躍で上杉軍は大敗を喫してしまう。更に上州のスーパーG・長野業正亡き後も抵抗を続けていた長野業盛が、武田信玄の前に遂に力尽きてしまった。これらの出来事から関東の豪族たちが次々と後北条氏へ鞍替えしてしまったのである。
これを見た謙信はまたまた関東へと遠征し、厩橋城はサクッと落とされた。この後もしばらく後北条氏の下にいたようだが、1569年に越相同盟が結ばれた事で上杉帰参を許された。二度の寝返りの割に寛大と言うべきか、やっぱりそれだけ能力があるということか。
越相同盟は1571年に解消されたが、上野国はしばし上杉・後北条・武田が睨みあう様相で、大きな衝突は減った。高広は1574年に隠居、息子・北条景広に家督と厩橋城を譲り、自身は東の大胡城に移る。
これが一変したのが1578年、謙信の死去である。この時高広も出家して「芳林」と号した。だが上杉家中は後継者を巡って「御館の乱」と呼ばれる内乱に突入してしまう。この中で高広の実父・石曽根高定が上杉景勝方に殺害されている。こうした事情やかつての後北条との関係もあってか高広は上杉景虎方に付き、息子景広が越後へと出兵するも、景広はそこで討死、景虎も敗死した。(ちなみに安田一族は景勝方であった)
更に悪いことに、このドタバタの隙を突かれて武田氏が沼田城を奪取する。これで越後と上野は分断され、高広は完全に孤立してしまった。この状況ではもはや致し方なく、武田勝頼に降伏する。以降の高広は上杉から派遣された代官ではなく、厩橋城を拠点とする上野国人のひとりと化して行動することになる。
1582年、武田家が滅亡すると滝川一益の配下に置かれ、厩橋城も一益の手へと渡った。だが直後に本能寺の変が起こり一益は撤退、高広はまたも後北条配下へと舞い戻ることになった。
それでもなお流動的な情勢の中、真田昌幸が沼田城明け渡しを巡って徳川・後北条と対立し、上杉への寝返りを画策し始めると高広もこれに呼応する。しかしただでさえ沼田の件でイライラしている後北条には火に油、頼みの上杉も新発田重家の乱などでいっぱいいっぱいだった。翌1583年に厩橋城を攻められると降伏する。
1587年までは活動が確認されるが、以後不明。どうも越後には戻れなかったようだ。
同名の息子・北条高広(高明)が跡を継いだとされる。上杉家へ帰参したというが詳しいことは分からない。1600年没。
米沢藩の重臣として続いた安田家と違い、こちらは戦国乱世の中で埋もれていってしまった。ただ、高広の娘が同じ大江一族の上野国人・那波顕宗に嫁いでおり、彼の息子は安田能元の養子となっている(安田俊広)。俊広の母が高広の娘なのか確証はないが…。
演:新井康弘。景広とポジションが混同されているのか御館の乱で死亡している。
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最終更新:2024/12/03(火) 09:00
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