有松(ありまつ)とは、名古屋市緑区にある、江戸時代から残る古い街並の地域である。2016年には街並が国の重要伝統的建造物群保存地区に指定された。特産品は「有松絞り」と呼ばれる絞り染め。
伝統的な建物が太平洋戦争時の本土空襲によって多く失われた名古屋市内において、江戸時代の面影を残す有松の街並は大変貴重であり、名古屋市の穴場スポットといえる場所である。
江戸時代初期に東海道の宿場町(いわゆる東海道五十三次)が制定された当時、現在の有松にあたる地域は池鯉鮒宿と鳴海宿の間にある丘陵地帯で、松林が生い茂る悪路であることに加えて時折盗賊も出現するなど治安上の問題もあった。そこで尾張藩はこの地に新たな集落を設けることを決め、知多郡一帯から移住者を募ることにした。この呼びかけに応じた数名が移住し、新たな集落として有松が開かれた。
こうして開かれた有松だが、前述のとおり松林の生い茂る丘陵地帯であるために農業には不適で、生活の維持のために新たな産業を興す必要があった。
同じ頃、名古屋城の築城工事のために各地から人が集められていたが、その中の九州出身者に絞り染めの衣装を着ている者がいた。有松の住民のひとりがこれにヒントを得て、特産品として絞り染めを作るようになったという。これが「有松絞り」のはじまりである。
有松絞りは後に尾張藩二代目藩主の徳川光友にも献上され、これをきっかけとして有松絞りが世に知られるとともに、有松は染織町として発展していくことになる。
染織町として順調に発展してきた有松だが、1784年に大火が発生。当時茅葺の建物が主であった有松の街は、そのほとんどが大火によって失われてしまった。
大火の教訓から、街の再建にあたり屋根を瓦葺に改め、うだつを上げるなど防火対策に力が入れられた。現在見られるような重厚感あふれる伝統的建造物群は、このとき以降に造られたものである。
この伝統的建造物群は太平洋戦争の本土空襲の時にも被害を免れ[1]、江戸時代以来の姿を現在に留める名古屋市内では貴重な景観となった。1992年には街並を構成する建物のうち数棟が名古屋市の都市景観重要建築物等に指定。次いで2016年には街並全体が国の重要伝統的建造物群保存地区に指定された。
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1 ななしのよっしん
2019/02/16(土) 16:42:33 ID: YUPMGPNCEx
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