坂本文次郎 単語

サカモトブンジロウ

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坂本文次郎(さかもと ぶんじろう)とは、元プロ野球選手である。故人。

概要

1926年3月15日生まれ。和歌山県和歌山市出身。

中学校に進学。在学期間に甲子園大会出場歴はし。

卒業後、日本発送電を経て、海南日東紡でプレー

1951年、大映スターズに入団。

初年度の1951年からサードレギュラーとして起用され、95試合に出場。規定打席にも到達し、打率.242、4本塁打、31打点、13盗塁記録

以降もサードレギュラーとして活躍。1952年打率は.226と下げたが、10本塁打、46打点、14盗塁記録

1953年は全試合に出場。本塁打は1本のみだったが、打率は.280記録

1954年には日本プロ野球史上初となる10打席連続安打記録

1955年打率.295、11本塁打、59打点、25盗塁と、キャリアハイとも言える成績を残した。

1956年には自己最多となる28盗塁記録するなど、走塁面での活躍もった。

1958年、大映を吸収合併した毎日オリオンズへ移籍。

毎日は大映とべて内野手の層が厚かったこともあり、他の選手と併用される形で出場を重ねたが、1958年には4本塁打、16盗塁記録1960年には120試合に出場して、打率.256、7本塁打、38打点記録し、パ・リーグ制覇に貢献するなど、ベテランとして存在感を示した。

1961年、98試合に出場したが、同年限りで現役を引退

引退後は西本幸雄氏に重用され、ロッテ近鉄バファローズコーチを務めた。晩年は近鉄スカウトを務め、くから野茂英雄の才をつけていたという。

1994年11月25日、死去。享年68歳。

人物・エピソード

走攻守に渡り、果敢なプレーで活躍した内野手。積極的なプレースタイル故に四球の数が極端に少なく、1954年には551打席に立ち、わずか12四球という成績を残している。

コーチとしては選手思いな面もあり、西本監督から雷が落とされる前に、先回りして集中できていない選手を注意したり、気合を入れ直すことがあったという。

通算成績

打撃成績

通算:11年 試合 打席 打数 得点 安打 本塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺打 打率 出塁率
NPB 1233 4569 4313 504 1097 66 375 154 68 16 152 20 472 70 .254 .283

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