| OB | |
|---|---|
| 大崎三男 | |
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 東京都 |
| 生年月日 | 1932年5月9日 |
| 身長 体重 |
172cm 76kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打撃 | 右投右打 |
| 守備位置 | 投手 |
| プロ入り | 1953年 |
| 引退 | 1960年 |
| 経歴 | |
| 選手歴 監督・コーチ歴 | |
| プロ野球選手テンプレート | |
明治大学付属明治高等学校に進学。3年時には春夏連続で甲子園大会に出場し、春の大会ではベスト8まで勝ち進んでいる。
卒業後、明治大学へ進学。エースとして活躍していたが、1学年下の秋山登がエースとなって以降、起用面で監督と対立し、大学を中退。ただ、大崎の才能を買っていた助監督が紹介状を持参させて大阪タイガースへ向かわせ、大崎は松木謙治郎監督に入団したいと頼み込み、入団テストを経て、1953年に大阪タイガースに入団。
1955年、先発投手の一員として起用されるようになり、8勝13敗、防御率3.00という成績を残した。
1956年、セ・リーグ最多の37試合に先発するなど63試合に登板。25勝14敗、防御率1.65を記録し、渡辺省三とともにエース格として活躍。
1958年、8勝12敗、防御率3.33とやや精彩を欠いた。シーズン終了後、近鉄バファローへ移籍。
低迷する近鉄において、エースとして期待されたものの、1959年は2勝8敗と今一つなものに終わり、1960年は1勝7敗で防御率も6.63と活躍できず、同年限りで現役を引退。
引退後は解説者として活動し、1979年から2シーズン、古巣の阪神で投手コーチを務めた。
快速球と度胸の良さを武器に活躍した右腕。制球力の高さも売りであった。
速球をテンポ良く投げ込む姿から「マシンガンの大崎(マシンガン男)」という異名を持つ。
せっかち且つ喧嘩っ早い一面もあるようで、契約更改で納得の行かない金額を提示された際に、球団代表に対し「おっさん、やめとくわ」と告げ、わずか2分で保留して席を立ったというエピソードが残っている。
| 通算:8年 | 登板 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| NPB | 233 | 37 | 13 | 66 | 70 | --- | --- | .485 | 1107.2 | 174 | 482 | 371 | 313 | 2.54 |
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最終更新:2025/12/05(金) 23:00
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