奥州斯波氏 単語

オウシュウシバシ

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奥州斯波氏(おうしゅうしばし)とは、陸奥戦国大名である。通字は「(あき)」。

概要

斯波氏は足利泰氏の庶長子・斯波氏(13世紀中盤の人)を祖とする、足利氏の分流。陸奥斯波(志和・波)を領地とした事から斯波を名乗る。

これが4代斯波高経の後に、いくつかの系統に分かれた。斯波義将の系統が宗であり「斯波武衛」と呼ばれ、室町幕府の管領を務める三つののひとつになった。一方、斯波家長の子孫は斯波氏のルーツである州を引き続き統治することになった。これが奥州斯波氏(高寺斯波氏)である。ただ、幕府の要職に就いていた訳ではく、斯波氏庶流にあたる大崎氏(州探題)や最上氏(羽州探題)とは違って周辺地域への力はそこまでなかった。

(※註:大崎最上も含めた斯波系諸すべてひっくるめて「奥州斯波氏」と呼ぶ事もある)

戦国期になると「志和御所」と称して、斯波66郷を治めた。しかし、東北の諸大名は他地方よりも残された史料が少なく、奥州斯波氏についても詳細がわかっていない部分が多い。

斯波詮高の代より勢力を広げて、岩手を侵攻したり、を攻め落とすなど最盛期を現出させる。詮高の子・斯波経詮もその跡を引き継いで、3兄弟広大州斯波領を治めていく。しかしその後は北の南部氏に圧されて衰退してゆき斯波詮直(詮元・詮基)のとき南部氏によって滅亡した。

家系図の謎

後世に伝わる系図は複数存在している。一つは「州斯波系図」に拠るもので、こちらは家長から数えて10代で滅亡した、とする(子孫という斯波行詮も系図附属の覚書で述べている)。もう一つは南部系の記録南落穂集」に拠るもので、こちらでは斯波詮高大崎教兼息子であるという(詮高以前の志和御所の状況は不明)。他にもあるが省略

このどちらも斯波詮直(詮元・詮基)が登場する、その息子に斯波詮種がいる、の部分は共通しているので、呼び名違いの同一人物とも考えられている…が、なにしろ奥州斯波氏が滅亡四散してしまったため、一次史料が圧倒的に不足していて分からない事が多すぎる。ちなみに「州斯波系図」では滅亡時の当は詮直ではなく、その息子の斯波詮としている。

余談だが「信長の野望シリーズでは後者系図をモデルにしている。

=奥州斯波氏略系図=

斯波
<大崎>
斯波高経 大崎
(4代略)
<志和御所> <武衛> <大野斯波>
斯波家長 斯波義将 斯波義種
斯波詮経
斯波詮将
斯波詮教 斯波教詮 斯波詮宣
<斯波>
斯波詮勝 斯波詮 斯波郷長 大崎教兼
<高寺斯波>
斯波詮重 斯波詮長 大崎政兼 斯波詮高
<石御所> <去御所>
斯波詮好 斯波詮信 斯波詮兼 斯波経詮 石詮貞 去詮義
斯波詮房 斯波詮真 石詮 去義方
斯波詮元
(=詮直)
高田康実
の妻
斯波詮直
(=詮元)
高田康実
の妻
石久詮 去久
<滅亡>
斯波詮種 斯波詮 斯波詮種 石久資 去基久
<滅亡>
斯波詮
斯波行詮 斯波義
  • 他、奥州斯波氏の人とされるが系図上の位置が不明な人物

関連動画

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関連項目

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掲示板

  • 1 ななしのよっしん

    2016/03/14(月) 02:25:52 ID: /303q3nEhH

    ~系っていうか単に系図が混乱してるだけの話じゃないの

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