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排外主義的な主張で知られる[1]国内最大の右派系市民団体「在日特権を許さない市民の会」(在特会)の創設に携わった中心人物の一人であり、結成以来長らく同会の副会長を務めていた人物。
元々は"IanBakansu"のコテハンで活動する一介の右派系ネットユーザー(いわゆる「ネット右翼」)に過ぎなかったが、日本テレビの「ジェネジャン」出演を控えた著名な嫌韓コテハン"Doronpa"こと桜井誠と2005年1月の模擬討論会で出会い意気投合[2]。以後数年間に渡って彼の腹心の部下として行動を共にすることになる。
同年桜井が「日韓歴史問題研究会」(2006年2月より「東亜細亜問題研究会」)を設立するとこれに参加。筆頭幹事・副会長として彼を支え、桜井が配信していたネットラジオや日本文化チャンネル桜の番組「テレビ掲示板討論会」への出演、ムック本への寄稿など多彩な活動を展開した。
また桜井が在日問題に特化した新団体の結成を考案すると、その設立のために奔走し、2007年1月に在特会が結成されると再び副会長に任命された。
しかし在特会が会勢を拡大していくのと反比例するかのように、これ以後御影の存在感は次第に薄くなっていく[3]。2010年4月に会ナンバー2の座を八木康洋に明け渡すと、同年10月には副会長在職のまま会員登録担当という閑職に回されてしまう。
御影は東京在住だったが、関東での主だった街宣・デモ・集会等で前面に出ることもなかったため、次第に会員や支持者からもその存在を忘れ去られていった[4]。
そして2010年12月から2012年5月までのどこかの時点で[5]、御影は何の前触れもなく会から姿を消した。在特会では運営陣の異動を逐一公式サイト上で告知しており、執行役員の退任時には挨拶を掲載するのが通例だったが、御影はそのどちらもないまま役員一覧から名前を削除されたのだった。
在特会創設の功労者である御影がなぜこのような末路を辿ったのか、その理由は謎に包まれている…
日韓歴史問題研究会 / 東亜細亜問題研究会 | ||||
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着任日 | 退任日 | 役職名 | 退任理由 | 備考 |
不明 | 不明 | 筆頭幹事 | 副会長就任 | 副会長就任は 06/06/14[6]~07/01/07[7]の間 |
不明 | 2009/04/29 | 副会長 | 休会 | |
在日特権を許さない市民の会 | ||||
着任日 | 退任日 | 役職名 | 退任理由 | 備考 |
2006/12/02 | 2010/10/01 | 副会長 (会員および研究分析等管理・ メルマガ・イベント企画担当) |
担当業務変更 | 正式な着任日は07/01/20 |
2010/10/01 | 不明 | 副会長 (会員登録関係担当) |
不明 | 退任は10/12/10~12/05/18の間 |
御影が出演していたネットラジオは桜井の個人サイト「不思議の国の韓国」や東亜研公式サイトの閉鎖に伴い視聴不可となっており、また在特会が動画を用いた情宣手法を多用するようになる前に活動の第一線から退いたため、彼の発言や行動を収めた動画等はほとんどネット上に残っていない。
ただネットラジオの音声ファイルのいくつかはInternet Archiveに保存されており、発足集会での副会長就任挨拶の様子もYouTubeで公開されている。
いずれも御影が執筆参加したもの。
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最終更新:2024/04/20(土) 05:00
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