手代木直右衛門 単語

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手代木直右衛門とは幕末会津士、明治時代の官吏である。

概要

文政9年(1826年)、会津士・佐々木八の長男に生まれる。諱は勝任。実京都見廻組与頭・佐々木只三郎がいる。

叔父手代木又吉の養子になり、その督を継ぐ。

安政6年(1859年)、監察に就任。

文久3年(1863年)、京都に赴き用人を命じられる。京都では実佐々木只三郎と共に浪士取締りを導した。

慶応4年(1868年)1月鳥羽伏見の戦いに参戦するが敗走。会津戦争では若年寄として籠し抗戦。降する際は秋月悌次郎と共に使者を務めた。

後、責任者として閉されるが明治5年(1872年)、特赦により解放。その後は新政府に出仕し、香川県権参事、岡山県の区長などを務めた。

明治36年(1903年)6月3日死去。享年78。

手代木は死の直前、「坂本龍馬佐々木只三郎がやった」と話しており、その内容は全に3冊のみ伝存する私本『手代木直右衛門伝』に収録されている。

坂本龍馬が慶応三年十一月十五日に、京都河原薬師醤油屋方にて幕府の壮士の刺殺されたることは史乗に詳なる所なるも、其の下手人の何者たるは今に及ぶまで明かならず。手代木翁死に先たつこと数日、人にりて坂本を殺したるは実三郎なり、当時坂本長の連合を謀り、又土佐の論を覆して討幕に一致せしめたるを以て、深く幕府の嫌忌を買ひたり、三郎組頭として在せしが、某諸侯の命を受け、壮士二人を率ゐ、薬師なる坂本の隠を襲ひ之を殺したりと。蓋し某諸侯とは所代桑名したるなり。桑名会津の実なりしを以て、手代木氏は之が累を及ぼすを憚り、終生事を口にせざりしならん。前年静岡県今井信郎なる人坂本を殺したるは自分なりとて、史談会にて其のを叙し、彼は佐々木只三郎坂本の相談を受け、同人及び渡辺吉太郎なる人と同行したりといへり。是れ正に手代木翁の言に符号せり。余輩は手代木翁の人格を信じて、其の事の真実なるを疑はず」

 (『手代木直右衛門伝』)

某諸侯とは文中にあるように桑名松平定敬、もしくは会津松平容保ではないかとされる。

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