有吉道夫(ありよしみちお)とは、将棋棋士である。棋士番号66。岡山県出身。大山康晴門下であり、同郷の誼でもあるとともに仲の良い師弟関係を保っていた。
火の玉流といわれる一気呵成の攻め将棋で知られる。また、うちに秘めたる闘志は鬼気迫るものがあり、ベテランになっても若手棋士に混じって夜遅くまで練習に明け暮れていたというほどの闘志の塊であり、本当の勝負師であった。ちなみに、豊川孝弘のダジャレで味の良い手を、味よし道夫と呼んでいるが、実際有吉本人も筋の良さと棋理の明るさで知られ、王道に見える中にも色々な新手を編み出しており、無頼派が多かった当時からすると、現在の若手棋士のように研究とデータ分析を好む性質でもあった。この日頃の努力が長い棋士人生を育んでいる。
タイトルは棋聖1回。棋戦優勝は9回。19歳でプロ入りし、74歳まで指し続け、通算で勝ち越している(加藤一二三と並び、1000勝1000敗を達成した棋士である)、昭和を代表する強豪棋士の一人。特に同年代の内藤國雄とは宿命のライバルでもあった。
また、55歳でA級に復帰してからは、61歳までA級に在位したなど息の長い棋士でもあり、C2級の降級規定により74歳で引退したが、その時の竜王戦在位は5組であったなど、まだまだやれる棋力を残していたという、丸田祐三や加藤一二三に並ぶ高性能じいちゃんであった。
当時は中原誠、米長邦雄、内藤國雄、加藤一二三に原田泰夫や芹沢博文といった人気棋士がいたため、その陰に隠れてしまっていたが、1974年から1989年まで日本将棋連盟理事を務めているなど、陰で将棋界を支えた人物である。
趣味は散歩、囲碁ぐらいで、若い頃から節制を守り、将棋以外の遊びを覚えなかった棋士でもあり、それも地味と思われている一因かも知れない(棋界きっての無頼派だった芹沢博文からはつまらん男と呼ばれていたりもした)。
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最終更新:2024/12/23(月) 01:00
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