李鍾範(イ・ジョンボム)とは、韓国プロ野球、日本プロ野球で活躍した元プロ野球選手(外野手)である。
LGツインズ コーチ | |
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李鍾範 | |
基本情報 | |
国籍 | 韓国 |
出身地 | 光州広域市 |
生年月日 | 1970年8月15日 |
身長 体重 |
178cm 80kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 外野手、一塁手、三塁手 |
プロ入り | 1992年KBO1次ドラフト1位 |
引退 | 2012年 |
経歴 | |
選手歴 コーチ歴 | |
国際大会 | |
チーム | 韓国 |
WBC | 2006 |
プロ野球選手テンプレート |
韓国ではヘテ・タイガース(現・起亜タイガース)の黄金時代を築いた中の一人の選手として有名で、中日を去ったあとも起亜タイガースで活躍した。
1993年にヘテ・タイガースに入団。内野手として1年目からいきなり全試合出場を果たし、外野のレギュラーとして韓国で活躍。1994年には打率.393(499-196)というハイアベレージを達成。200本安打に迫る勢いを見せた。盗塁も84個と、大量に決めている。中日入団前の韓国プロ野球で盗塁王3回、MVP、首位打者に1回輝いている。また、外野の守備も魅力的で、中日入団前までに4回の韓国ゴールデングラブ賞を受賞している。長打力もあり、1997年には30本塁打を放っている。
1998年、中日ドラゴンズに入団。中日時代の登録名は『リー・ジョンボム』。韓国で素晴らしい成績を挙げていることから、『韓国のイチロー』と呼ばれた。ユニフォームの『J.LEE』から『J.リー』という愛称も付いた。ちなみに、中日時代の最初は内野手を任されていたが、失策が多かった。その後、俊足を買われ、外野手に転向。6月に阪神の川尻哲郎から死球を受けて骨折、長期離脱し、出場試合は67試合で終了。しかし、その間に10本塁打を放つ。中日が優勝した年の1999年は打撃不振に陥りながらも、星野仙一から1番打者として起用され続け、最終的には123試合起用された。打率は.238に終わったが、24個の盗塁を記録している。2000年も1番打者としてレギュラーを取っていたが、2001年に強力な外野陣が完成(福留孝介、井上一樹らが守っていた)したため、レギュラー落ちしてしまい、シーズン途中で退団。起亜に復帰する。
起亜に復帰後、2003年に再び韓国プロ野球で盗塁王を獲得している。また、ゴールデングラブ賞も2回更に獲得。2009年、起亜が暗黒を脱し、優勝した際には生え抜き選手として、胴上げされた。2010年には日韓通算で2000本安打を達成した。
2012年の開幕直前に現役引退を表明。起亜での背番号7は永久欠番となった。
2013年からハンファ・イーグルスで走塁コーチに就任、2014年まで務めた。その後は解説者を務めたのち、2019年はLGツインズのコーチ。
2020年は研修コーチという肩書きで19年ぶりに中日に復帰。二軍でコーチ研修を受け、9月に帰国した。
通算:20年 | 試合 | 打席 | 打数 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 打率 | 出塁率 |
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KBO(16年) | 1706 | 6784 | 6060 | 1797 | 194 | 730 | 510 | 95 | 42 | 634 | 90 | 622 | .297 | .372 |
NPB(4年) | 311 | 1252 | 1095 | 286 | 27 | 99 | 53 | 29 | 5 | 102 | 21 | 169 | .261 | .334 |
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最終更新:2024/12/22(日) 15:00
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