正津英志(しょうつ えいじ)とは、元プロ野球選手である。
| OB | |
|---|---|
| 正津英志 | |
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 福井県大野市 |
| 生年月日 | 1972年11月13日 |
| 身長 体重 |
173cm 76kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打撃 | 右投右打 |
| 守備位置 | 投手 |
| プロ入り | 1997年 ドラフト3位 |
| 引退 | 2009年 |
| 経歴 | |
| 選手歴 | |
| プロ野球選手テンプレート | |
県立大野高等学校に進学。入学後、本格的に投手としてプレーするようになり、3年夏には甲子園大会に出場している。
卒業後、龍谷大学に進学。チームの中心選手として活躍し、在学4年間で18勝を挙げている。
大学卒業後、NTT北陸に入社。1997年の都市対抗野球大会で勝利を挙げるなど、評価を高めていた。
1997年ドラフト会議にて、中日ドラゴンズから3位指名を受け入団。即戦力投手として期待されての入団であった。同期入団には川上憲伸・鈴木郁洋・井端弘和・高橋光信らがいた。
初年度の1998年、中継ぎ投手として一軍に定着すると、45試合に登板して、6勝1敗、防御率2.45と好成績を残し、リリーフ陣を支えた。
1999年、落合英二・岩瀬仁紀らとともにリリーフ陣の中心選手として登板を重ね、47試合に登板して、5勝1敗、防御率3.35という成績を残し、チームのセ・リーグ制覇に貢献。日本シリーズでも3試合に登板している。
2000年は5勝を挙げたが、防御率は4.47とやや安定感を欠いた。
2001年、キャリア最多の53試合に登板し、3勝1敗、防御率3.04と復調。
2002年は故障に苦しみ15試合、翌2003年は6試合の登板に終わるなど登板機会が激減。
2003年は二軍でも登板機会が限られるなど、構想外に近い形となってしまっていた。同年シーズンオフ、大友進、玉野宏昌とのトレードで西武ライオンズへ移籍。
西武でも中継ぎ投手として起用され、2005年には36試合に登板して7ホールド、2006年には23試合に登板して5ホールドを記録。
2007年、ワンポイントや敗戦処理中心の起用ではあったが、防御率1.59と安定感を発揮。
2008年、故障で出遅れはしたものの、一軍昇格後はセットアッパーとして奮起。3勝9ホールド、防御率2.35と好成績を残し、パ・リーグ制覇に貢献。ただ、日本シリーズでは登板無しに終わっている。
引退後は古巣の中日に戻り、スカウトに就任。京田陽太、清水達也、梅津晃大らを担当した。
切れ味鋭いスライダーやシンカーを武器に活躍したサイドスロー。
初年度の1998年には例年であれば新人王候補に名を連ねるような成績を残したが、同期入団の川上憲伸をはじめ、高橋由伸・坪井智哉・小林幹英ら非常にハイレベルな新人王争いであったため、新人王選出とはならなかった。
| 通算:11年 | 登板 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| NPB | 328 | 1 | 0 | 25 | 10 | 0 | 24 | .714 | 386.1 | 140 | 292 | 168 | 152 | 3.54 |
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最終更新:2025/12/05(金) 19:00
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